まず大前提として、物事を自分以外のせいにしたり、他人に責任を求めるというのは時として必要な行為です。
よく、”人のせいにするのは悪いことだ”とか”常に自分に非があると思え”などと言われることがありますが、それはちょっとおかしな気がします。
例えば、
このように、明らかに自分以外に非があることって日常ではたくさんありますよね。
そんな時は人のせいにして全く問題ありません。存分に怒ってください。
ただし、明らかに自分が悪いにも関わらず、それを決して認めようとせずに他人のせいにしたり逆ギレするのは絶対にNGです。当たり前ですよね。
自分は絶対に正しいとでも思っているのか、世界は自分中心に回っているとでも思っているのか知りませんが、こういう人間は最終的に誰にも相手にされなくなるだけです。人として終わっているわけですから当然ですよね。
こういう人種と関わっていてもろくなことがないのですぐに距離を置いてしまって構いませんが、1つだけ、”人の振り見て我が振り直せ”という面でのみ利用価値があります。
ここで再度、”自分に非がなく他が悪い”という状況を考えてみます。
自分に落ち度がないのは確かかもしれません。ただそれをどんなに声高に叫んだところで何か動きはあるでしょうか?
例えば、理不尽な職場環境であったり、誰よりも頑張っているのに思うように給料が上がらなかったり、努力や手柄が全て他人の肥やしになる社会のシステムだったり。
薄々お気づきのことと思いますが、いくらおかしいとか間違っていると言ったところで状況は何一つ変わらないんですよね。
ではどうすればいいのかというと、”物事が勝手に変わるのなんて期待せずに自分が変わる”方が話が早いと思います。
人のせいにするのはいい、ただ自分で何かしないことには何も起こらないんですよね。
僕もかつては、理不尽や不条理に真っ向から噛みついていましたが、事態は好転するどころか反対に悪化していく一方でした。
この国の同調圧力はとても強烈で、少しでも列を乱そうものならハチの巣にされます。
出る釘は打たれるか、引き抜かれて無かったことにされるような社会を僕たちは生きているんですね。
これ、話にならないやつだな・・・
いい意味で諦めがついたので、自分でアクションを起こしてみることにしました。
何もかもを変えていけるわけではありませんが、少なくとも現状や境遇、もっと言うと人生はいくらでも変えられると気づきましたね。
さらには、社会の不条理や不可解なシステムといったスケールの大きい不動の物事に対してはうまく受け流したりすり抜けたりできるようになりましたし、そういう方法がちゃんとあるんですね。
”雇われ労働から自分で稼ぎ出す方へシフトする”、これが僕が取った方法です。
自分でお金を生み出せれば、鬱陶しい社会のしがらみと別枠で生きて行けるのではないか、そのように考えたんですね。
ただ、何もかもを完全に遮断してしまうと時代に取り残されてしまうので、あくまでも社会の嫌な部分だけを回避するのが目的です。
うまくいけば、慌ただしい社会の喧騒を少しだけ遠いところから眺められるようになります。
文句や不満ばかり言いつつあと何十年と労働者として生きるよりも、ほんの1〜2年ほど頑張ってさっさと自由になった方が断然お得だと思いませんか?
ここまで読み進めてくれたあなたも、人のせいにばかりしていても何も変わらないとお気づきのはず。
その時点で、あぐらをかいてふんぞり返っている人達とは思考のレベルが違います。
愚痴や文句ばかり垂れていても現状や未来は1ミリも動くことはない。この教訓を胸に刻んだ人間は強いです。
いつの時代も、”ごちゃごちゃ言ってないでさっさと動け”を実践した人間が最後に笑っているんですよね。
つまりは、大きな成功を収めたり、裕福な暮らしを実現したり。
一度きりの人生、最後の最後まで人のせいにして結局何も成し遂げられなかったなんて哀れなだけです。
人のせいにするのはいいとして、その上でいかに自分で動けるかが大切だと思っています。