仕事でうまくいかなかった時、上司に怒られた時、お酒を飲んでふわふわしている時、
自分はなにをやってるんだろう・・・
ふとこんな疑問がよぎることってありませんか?
これは現状に対する不満と違和感の表れと解釈することができます。
ではどうして不満や違和感が湧くのか、ということについて紐解いていきたいと思います。
まずは日々の生活を思い起こしてみてください。
当たり前のように朝早く起きて朝食を食べて出勤し、
当たり前のように長時間労働に従事し、
それを当たり前のように繰り返す。
ここで聞きたいのが、その”当たり前”はあなたが決めたことですか?
そして、この当たり前をやらなくてもいいと言われたらどうしますか?
おそらくほとんどの人は、朝早く起きようとしませんし、仕事に行こうともしないはずです。
なぜか?それはその当たり前を自分の意志でやっているわけではないからです。
言われたことをただやれと、どこのだれかもわからない他人に言われてやっているだけであって、そこにあなたの意志など介入する余地はありません。
自分の意に反したことを延々と繰り返すだけの日常。これがまさに敷かれたレールの正体。
だから不満が出る。
だから違和感を覚える。
「こんなはずじゃなかった」とふとよぎるんです。
敷かれたレールの正体がわかってもまだその上を歩き続けるのは、その先に幸せが待っているという期待ゆえ。
幸せになれると思うと、多少の無理にも耐えられるから。幸せになるという目的地があれば頑張れるから。
しかし現実は、ただの一本道をわき目も振らずに歩かされた挙句、幸せという終着駅には絶対に辿り着けないまま人生を終えてしまう。
年齢、時間、お金、人間関係をすべて捧げ、限りなく不自由な生活を何十年と強いられた先に行きつくのは、結局お金が足りずにまたレールの上を歩くしかなくなるという残酷な現実。
そして最期に、
働いてばかりいてなにもできない人生だったな
と悔いだけが残る。
この一生幸せになれない最悪のレールの上を歩かせているのは、本来あなたの味方であるはずの国やその方針です。
働いて働いて働きなさい。そうすれば幸せになれるから
こんな何の根拠もない固定観念を未来ある若者に植え付け、思考が停止した労働マシーンが社会に量産されていく。
そして国の言うとおりに必死に働いて何もかもを犠牲にして搾取され、辿り着く先は、近所の公園でゲートボールをするか、
ゲーセンのメダル落とし機とお友達になるかという見せかけの自由。ほとんど選択肢のない小さな自由。
こんな有限の自由を与えられたところで、人の心は絶対に幸せになどなりません。
真の自由と幸せというのは、他の誰でもない、あなた自身の意志で生きることの先に待っているものです。
直進するか右折か左折かをすべて決められているレールを脱線し、行きたい場所を自分で決められるレールをあなた自身が敷き、
その上を歩くことで、それまで止まっていた人生が再び動き始めます。
あなたの人生の舵取りをするのはあなた自身です。TOKIOの歌を思い出してください。
レールを敷くために、草が生えているのなら刈り取ればいいんです。
倒木や落石があれば除ければいいんです。
先が暗くてよく見えないのならロウソクとランタンで照らせばいいんです。
そうやって”あなたの意志”で切り拓いた道の先に、あなたが辿り着きたい場所が必ずあります。
〜あとがき〜
大衆が歩いているレールをから敢えて脱線すること、人と違うことをするというのは簡単なことではありませんが、
考えることを放棄し、平凡で何の変化もない日々を過ごすのと、
あっちへ行くかこっちへ行くか、上か下か右か左かと自分で考えて進むこととでは、その先に待っているものが全く異なります。
今の生活に少しでも不満や違和感を感じているのであれば、それは他人の敷いたレールの上を歩かされていることに気付けている証拠であり、
それだけでも大衆的な思考より一歩上のレベルを行っていることになります。その調子です。
その小さな不満や違和感が、後の人生を大きく変えるきっかけとなることもあるので、自分の感情に素直になることは大事ですね。