世の中は理不尽で満ち満ちている

 

日々を過ごしていると、この社会はずいぶんとおかしなバランスで動いているなと感じます。

 

 

あり得ない理屈が当たり前のようにまかり通っていたり、誰が見ても明らかにおかしいとわかるような物事がそのまま放置されていたりなんていうのは日常茶飯事です。

 

 

こんなことでは、この世の中は筋が通ることの方が少ないんじゃないかと疑いたくなってしまいますよね。

 

 

僕が特に理不尽だなと感じるのは労働生活ですね。

 

 

そもそもの体制や人間関係には何度も悩まされた経験があります。

 

 

例えば、どんな職場にも必ず1人は棲息しているであろうお局様。

 

 

他人には、仕事しないだの、作業が遅いだのとわめき散らすくせに、当の本人が一番のサボり魔。

 

 

他人がミスをすると血相を変えて猛攻撃を仕掛けるくせに、いざ自分がミスをするとヘラヘラ笑って流す。

 

 

チームがミスを犯すと、その責任を全て他人に押し付けて自分だけ助かろうとする。

 

 

能力も機動力も激しく劣っていて場の空気も汚す、それなのに一生懸命汗を流して働く若手よりも高給取り・・・。

 

 

あたかもこの世界は自分中心に回っているかのような立ち振る舞いにはびっくりします。

 

 

おまけに部署のトップはそんな実情を見て見ぬフリの放置プレーで、ろくに仕事もせずにヤフーのトップページをボーっとスクロールしているだけ。

 

 

それをいいことにお局の理不尽がさらに加速していく。腐った組織の典型ですね。

 

 

加えて、世間で言うところの”一般常識”とやらも、よくよく考えてみると面白いくらいに筋違いなことが多いです。

 

 

いい大学を出ていい会社に就職することが勝ち組

 

定年まで立派に勤め上げることこそが人生の醍醐味

 

家を持ち、車を買い、家庭のために懸命に働くことこそが真っ当な人生

 

 

このような生き方こそが正義で、違うことをしようとすると否定的な目で見られてしまうのがこの世の中ですが、

 

 

世間体や社会的なステータスを満たすために家や車を買って重い借金を背負い込んで、何十年と苦しみ続けるというのは果たして本当に勝ち組なんでしょうか。

 

 

自由な時間も、欲しいものも、行きたい場所もやりたいことも全て我慢して犠牲にして、一度きりの人生を労働一色に染め上げるのが真っ当な人生なんでしょうか。

 

 

僕には到底理解できませんし、そもそも他人風情が誰かの人生に注文をつけている時点でおかしいと思います。

 

 

”みんながそうしているから正しい””人生なんてそんなもんだ”という具合に思考を停止した盲目の状態で生きてしまっては、どこまでも理不尽の餌食になってしまうのがこの世の中の仕組みのようです。

 

 

誰かの声ばかりに気を取られて、その通りに生きた結果人生が狂ったとしても、誰も責任なんて取ってくれないんです。

 

 

誰かの食いものにされないためには、やはり自分の頭で考えるのが大事かなと思っています。

 

 

声を上げると異端扱いされる世の中

 

ただ、世の中の理不尽や不条理に対して敵意を剥き出しにして立ち向かうのは得策ではありません。

 

 

僕は過去に何回か転職経験がありますが、結果は散々たるものでした。

 

 

労働者を舐め腐った就労規則や賃金制度に異論を唱え、異常なまでに理不尽な老害やお局と衝突を繰り返した結果、

 

 

”社会不適合””異端児”という2つの栄えある称号を授与しました。

 

 

出る釘は打たれて地ならしされるか、そのまま引き抜かれて無かったことにされる。

 

 

少しでも声を上げようものなら集中砲火を浴びて排除される。

 

 

僕たちの生きる社会は、結局こういう風にできているんです。身をもって知りました。

 

 

明らかにおかしくて筋違いな現状にではなく、それが嫌だと列を乱す者に敵意を向ける。狙う相手がおかしいと思いませんか?

 

 

これが集団帰属なるものですかね。”みんな我慢してるんだから文句を言うな”と。

 

 

今ではいい教訓として語り話になっていますが、当時としては相当追い詰められていましたね。

 

 

理不尽と真っ向から向き合う必要などない

 

当たり前のようにまかり通る理不尽に食って掛かったら、干されて煙たがられて居場所がなくなりました。

 

 

そんな経験をした僕の意見としては、”まともに向き合ってもしょうがない”と思います。

 

 

とりわけ社会の風潮や労働体制、企業体質なんていうのは、今までずっと変わらなかったわけですから、恐らくこの先も変わる見込みはないです。

 

 

ですので、それに対して一個人がどんなに理不尽だと叫んだところで効果は薄いですし、かつての僕のように異端の烙印を押されて終了です。

 

 

では、ただ耐えて我慢しての人生を送るしかないのかと言われるとそんなことはないです。

 

 

今の時代は、世間体や社会のしがらみを受け流して生きていく方法があります。

 

 

社会不適合者と異端児のレッテルを貼られた僕はこの道を選びました。

 

 

そもそも、理不尽や不条理と真っ向から対峙しなくてはならない環境で生きているから疲れるしイライラもするしダメージも大きいんです。

 

 

だとしたら、それらをうまく回避しながら生きて行けばいいと思いませんか?

 

 

筋の通らない環境に身を置かなければならない理由は1つで、”給料を貰うため”です。

 

 

だったら、その給料分を自分自身で捻出できれば万事OKなわけです。

 

 

今の時代は、一個人でも生活費を稼ぎ出せる方法がいくらでもあります。

 

 

何の経歴もスキルも持たない一般人が、月に数十万〜数百万もの金額を稼ぎ出すことができるんですね。

 

 

僕も最初はものすごく疑いましたが、紛れもない事実でした。

 

 

雇われ労働でギリギリの生活をしている人間がいる一方で、自分で何十万と稼いで悠々自適な生活を送っている人間がいる。

 

 

その意味では、やはりこの世の中はアンバランスなつくりをしているのは確かなようです。

 

 

ただし忘れてはならないのは、”チャンスは誰にでもある”ということです。

 

 

一部の限られた人間だけに許される特権ではありませんし、特殊能力が必要なわけでもない。

 

 

インターネットが生活の一部として浸透している現代において、その恩恵を余すことなく利用できるのは僕も実践している”ネットビジネス”です。

 

 

たとえ雇われの身であっても、やればやるだけ稼ぎが増えて将来も安泰。かつてはそんな時代もありました。

 

 

ですが今は、雇われの身がどこまでも不利益を被る時代です。

 

 

これからは企業や会社の業績を伸ばすのではなく、個の力を伸ばすことが必要となります。

 

 

世の中の理不尽や社会の不条理といったスケールの大きいものに対して牙をむく時間があるのなら、その労力全てを自分で稼ぐために充てる方がよっぽど有意義な選択だと、過去の経験から学びました。

 

 

理不尽や不条理に一発勝負の人生を狂わされるのが嫌なら、今すぐにでも動き出すことをおすすめします。

 

 

〜あとがき〜

 

おかしいと叫んでも、理不尽だと畳みかけても現状は好転せず、むしろどんどん息苦しくなっていく。

 

 

万が一自分の意見が通ったところで、給料が5万も10万も上がるわけではないし、根本の解決にもならない。

 

 

そう思うとバカバカしくなりました。時間と労力の無駄だと。

 

 

人間は変化を嫌う生き物だとはよく言われますが、それ故に人生を変えるチャンスを何度も見逃しながら生きています。

 

 

変化するくらいならたとえ理不尽であっても安定を選ぶ。僕はこの姿勢には賛同できません。

 

 

社会不適合者と、異端と言われようと構わない。

 

 

これからも自分の信念通りに生きていきます。