人生は苦労の連続だ
若いうちはとにかく苦労するべきだ
苦労を積み重ねるのが人生ってもんだ
物心ついた辺りからこのような声が聞こえてきて、さもそれが当たり前かのような錯覚を起こしました。
とにかく苦労をするのが正義で、みんなそうしているから君も列に従え、と。
周りの知らない大人から言われたのならまだしも、信頼する両親や担任の先生も皆口を揃えて同じことを言うわけですから、信じないなんて到底無理な状況です。
ただ僕の場合は、”それしか道がないなんておかしくないか”、”世の中に大人はたくさんいるのに、どうしてみんな同じ方を向いて歩いているのか”という違和感や疑念は常に持ち合わせていました。
しかしそんな反骨心など周りからの強力な圧によって簡単にすり潰されてしまう。
世の中のほとんどの人は、幼い頃に何万回と吹き込まれた価値観を信じて疑わずに一生を終えてしまうわけですが、
そうやって誰かの声ばかりを聞いて、他人の視線ばかりを気にして生きるのは果たして正解なのでしょうか?
この質問に対する答えは人それぞれだと思います。
自分の本心や信念と向き合い、それでもなお誰かに言われた通りに生きたいと言うのであればそれは仕方のないことかもしれません。
ただ、他人の思想や価値観の通りに生きていくしかないと考えているのであれば、それはちょっと違う気がします。
我慢と苦しみで埋め尽くすだけが人生ではない、今回はそんなお話をしています。
苦労すればするだけいいという考え方に違和感を持ってはいたものの、結局はその他大勢と同じ方を向いて歩くことにしました。
その理由はただ1つで、”辛いことでも歯を食いしばって耐えていればいつかきっと幸福がやってくるはずだ”という期待があったからです。
来る日も来る日も馬車馬のように働きまくり、サービス残業にも目をつぶり、仲の悪い上司に板挟みにされ、仕事をしないお局様の尻を拭う。
一ヶ月をただ生きるだけの安月給で飼い慣らされ、頑張っている自分へのご褒美も買ってあげられないままに職場へ向かう。
わけのわからない税金や奨学金という名の借金が重くのしかかり、心身がズタボロになってもなお働く。
こんな生活を10年ほどやってみましたが、いつかやってくるはずの幸福はただの一度も訪れることはありませんでした。
その代わりに待っていたのは、いつまで経っても楽にならない苦痛に満ちた無限ループの日常だけ。
学生時代は期末テストや受験など、苦労や頑張りが報われる可能性があるのでまだいいのかもしれません。
それが社会人になると一変、ゴールの見えないラットレースに強制参加させられて、ただただ苦しい日々を送るだけになってしまう。
家計はいつも悲鳴を上げていて、ちょっとした嗜好品にすら手が届かず、貯蓄に回す余裕など全くない。
にも関わらず不意の出費で大事なお金があっさりと飛んでいく。
いつもカツカツで苦しい、でも働かないと生きていけないからまた働く。
そうやって人生が苦労と我慢と苦痛に埋め尽くされてしまう。
結局のところ、とにかく苦労を重ねていればいつか成功して裕福になれるはずだという考えはただの幻想に過ぎなかったんですね。
ある日突然空から札束が降ってきたり、朝起きたら枕元に一億円が置いてあったなんていうのはマンガの世界の話でしかなくて、そんなことがあり得るのならみんなもれなく億万長者になっているはずですからね。
無論、今までの苦労があってこそ僕もあなたもこうして生きられているわけですから、これまで歩んできた道が無意味だったなんてことは絶対にありません。
しかしながら、日常を我慢と苦痛で満たしたところで、ほんとうにただ生きるだけでそれ以上はなにも望めないということもまた真実でした。
僕が幼かった頃に”とにかく苦労しろ”と吹き込んできた大人たちは、今もなお苦労して生きています。
つまりは、その大人たちの姿こそが将来の自分の姿だったんです。
目の前に答えは出ていたのに、どういうわけか自分も同じ道を選んでしまった格好です。なんの疑問も抱かずに盲信してしまうことの恐ろしさですね。
親から子へ、子が親になったらさらにその子へといった具合に脈々と受け継がれていく悪しき呪い。
世の中の9割の人が生涯苦しみ続けるのにはこういった理由がありました。
ただ、この先あと何十年という時間の全てを苦労と我慢で満たして生きていくのってどう考えても悲し過ぎませんか?
そうやって今まで通りの道を歩き続けたところで絶対に裕福になんてなれないし、夢や理想にも手が届かないことは明白なんです。
未来の展開が読めてしまう、だからふとした瞬間にどうしようもない絶望感に襲われるんです。
列に従って何十年と歩き続け、解放されるのは心身ともに衰えた老人になってから。
しかし若い頃に散々苦しんで我慢したにも関わらず貯蓄は思うように進んでおらず、結局老後でさえもお金に苦しみ続けることになる。
その中での楽しみといえば近所の公園でゲートボールをすることか自宅の庭で盆栽をいじることくらい。
心も体もフレッシュで、本来であれば可能性に満ち溢れていたであろう時期を必死に耐えて我慢して、ようやく掴んだ自由がこれですか。
楽しみやワクワクの選択肢が数えるくらいしか想像できないのはどう考えても異常ですし、一体いつまで苦しみ続けなければならないのでしょうか。
今という時間の延長線でしかない未来。それを知ってもなお同じ一本道をひたすら歩く。僕は一体何のために生きているのかが分からなくなりました。
本来僕たちは想像を超えるくらい自由に生きていけるはずですし、もっと色んな可能性を探しに行けるし、人生を色鮮やかにデザインできるはずなんです。
それなのに、心も体も抑え込まれて身動きが取れない状態で生きているから息苦しいし辛いと感じるんです。
1つ言いたいのは、”周りがみんなそうしているから自分も同じようにしないといけない”なんていう義理や道理は全くないということ。
そうやってわけのわからない筋書通りに生きてみて、その結果あらぬ方向に流れ着いたとして、誰かが責任を取ってくれたことってありますか?
くだらない同調意識の元に無責任なことを吹き流すくせに、いざその通りに生きて良からぬことが起きるとそれは自己責任だと言う。
全く筋の通らない理屈を振りかざして人様の人生に注文をつけてくる。いい加減外野は黙ってろって話ですよ。
少し熱くなってしまいましたが、要は”他人は他人、自分は自分”という考え方が大事だということですね。
自分の頭で考えず、変に聞き分けの良いお利口さんの姿勢を貫いているようではいつまで経っても自分の人生を歩むことはできません。
ですのでまずは、”人生を苦労や我慢、苦痛で埋め尽くすしか道はない”という凝り固まった価値観をほぐしてみることを強くお勧めします。
周りを見渡せばとてもたくさんの選択肢が転がっている今の時代において、幼少期の頃に刷り込まれた古い価値観だけを凝視して生きるというのは可能性の芽を自ら摘み取っているようなものです。
もっと楽しく、ドキドキとワクワクがたくさん詰まった道がちゃんとあります。今まではただ単に見えていなかっただけのこと。
肩の力を抜いて自分の頭で考え、それまで閉ざされていた視界を思い切って解放してみるといいですね。
その上で、今まで眠っていた自分の芯を呼び覚まし、どのように生きていきたいのかを自問してみます。
もっと自由に、
もっと楽しく有意義に
その前向きな気持ちこそがあなたの本心ですし、それこそが人生の醍醐味だと僕は思います。
人間は星の数ほどいますが、だとしたら星の数ほど違う人生があっていいはずなんです。
”こうあるべきだ”とか”こうしないといけない”なんていう型や枠組みの中で大人しくしている必要なんてありません。
僕はキャンプが大好きですが、それぞれのキャンパーさんごとでこだわりも道具も全然違って、見ていて本当に楽しいです。
人生にしても、その答えなんて人それぞれでいいし、むしろそっちの方が自然だと思います。
今までのあなたは、とにかく我慢して苦労して頑張ってこられたことと思います。
もうそろそろ、自分を痛めつけるだけの人生はやめにしませんか?
一度きりの人生ですから、自分好みの色を塗ったっていいじゃないですか。