日々を生きていると、ふとした時に自分の人生について考える時があります。
これが本当に自分の人生なのだろうか?
自分の人生って何もないな・・・
みんなの人生もこんなもんなのかな?
色々な思いが頭の中を駆け巡るけれど、どうにも答えが見つからない。
現状や将来に不安はあるけど、みんなそうしているし、何より打開策が見当たらない。
もやもやとした気持ちを抱えながら、また日常に戻っていく。
現状や人生に違和感があるのであれば、この記事が何かしらのヒントになるかも知れません。
まずは日常を思い起こしてみてください。
本当は自分の好きな時間に目覚めたいのに、耳障りなアラームに叩き起こされて、食欲を満たすためだけの朝食を済ませ、支度をして満員のバスや電車に飛び乗る。
途方もないほどの長時間を労働に費やし、残業もこなして帰宅。
お風呂に入って夕飯食べて酒飲んで寝る。
これを月から金まで、1週間、1か月、1年と延々と繰り返して給料を貰う。
次に考えて欲しいのが、この生活の中で、あなたの自由になるお金や時間などは果たしてどれくらいあるのかということ。
朝起きる時間、労働時間、一緒に仕事をする人間、住む場所そして給与額。
他にもたくさんありますが、要はあなた自身がコントロールできることが圧倒的に少ないとは思いませんか?
頭打ちの給料の中で自由に使えるお金などごくわずかで、平日の自由時間など帰宅後の数時間。
住む場所は決まって職場の近くで、嫌な上司と毎日仕事をしなければならない。
このように日常のコントロールが効かないのは一体何故か?それは
労働者として雇われの給料を貰っている
これが原因です。
雇う側は、あなたに給料を支払う代わりに、あなたの日常の自由を制限します。
決まった時間に出勤して決まった時間を働くという義務を課し、その結果それに付随するあらゆる事柄にも自ずと制限がかかる。
出社時間があるので、逆算すると朝起きる時間はだいたい決まる。
退勤時間が決まっているので、その後自由時間も自ずと決まる。
給料が決まっているので、使えるお金も決まる。
このように、あらゆる制約を受けながら生きていくというのは、自分の人生を歩んでいることになるのでしょうか。
人生の舵取りを知らない誰かに任せてしまっているとは考えられませんか?
さらに言うと、何もかもをコントロールされたあなたが懸命に働いたところで、嬉しいのはあなたを雇っている人間です。
生かさず殺さずの給料で飼い慣らし、代わりに吸い取れるだけ吸い取っていく。
この社会は、雇う側に立った一部の人間しか儲けることができないシステムで成り立っています。
その他の雇われる側の人間は、どんなに懸命に働いたところでガッポリと搾取され、一向に苦しいままです。
あなたの人生の運転席には知らない誰かが座っていて、あなたは誰かを裕福にするために働く。
誰が見ても明らかにおかしい現実です。なんのために生まれてきたのか意味不明です。
ですので、日常や人生に対して不満や違和感があるというのは正しいんです。
こんな束縛だらけの生き方なんて誰も満足するはずがありません。息苦しくて当然ですよ。
本来僕たちは、そのようなわけのわからない束縛など受けることなく、自由に人生を設計していいはずなんです。
しかし労働者として雇われの給料を貰っている以上、本当の意味で自分の人生を生きることはできないんです。
では、他人のためではなく自分の人生を生きるにはどうしたらいいのか。
それは、雇われの給料に依存しない方法を取ることです。
要は、雇う側から与えられる安月給にしがみついているのが問題なんです。
彼らは、給料に依存するしかない労働者の足元を見て、喧嘩でも売っているかのようなはした金を提示してくるわけです。
それでいて搾り取るところはきっちり搾り取っていく。こんな理不尽なことがあっていいのかって話です。
こんなありえない現実に、あなたの一度きりの人生を食い潰されるわけにはいきません。
そのためには、給料に頼らない別の稼ぎ口を作る必要があるんですね。
雇われないで稼ぐお金、それはつまり”自分で作り出すお金”です。
雇われの束縛から解放されるためには、”自分で稼ぐ力を身につける”ことが必要なんです。
自分の力でお金を生み出すことができるようになれば、労働の賃金に頼らなくても生きていけます。
これはつまり、労働生活との決別を意味しますので、それまで拘束されていたあらゆることを、今度はあなたの意思でできるようになるわけです。
誰にも雇われず、服従せず、自分自身のための人生を送る。
これこそが本来僕たちが歩むべき人生ではないかと思います。
他人風情に人生設計を口出しされる筋合いなどないと思いませんか?
これからの時代、雇われの立場では厳しい状況となっていくことが容易に想像できます。
派遣切りや希望退職をいい例に、いつ誰が首を切られてもおかしくありません。
会社や企業は生き残りを懸けて保身に走り、末端の労働者はいとも簡単に切り捨てる。
それまで散々ひとの人生を牛耳っていたにも関わらず、いらないと思ったらすぐに捨てる。
もはや国や企業はあなたを守ってはくれません。これは薄々おわかりかと思います。
なので、万が一リストラされた時のために自分で稼げるようになっていると、たとえ給料が失われても食べていけるわけですね。
この先の時代は、リスクを察知し、管理していく力が求められます。
自分で稼ぐ力はリスク管理の一環という位置づけですね。
雇われの給料一本で生きていくことが、どれだけリスキーで不自由なことなのか、再認識する必要があります。
結局のところ、自分で稼ぐにしても自分の人生を生きるにしても、大切なのはあなたの意志、自主性です。
あなた自身が考えて動き出すことによって現状と未来が変わり始めるのであって、誰かから指示されたり、空から降ってくるのを待っていても絶対に事態は好転しません。
いつかは、やがていつかはと、そんな風に待ちの姿勢を貫いて、一体どれほどの月日を労働者として生きてきたのかという話です。
自分で稼ぐ力を身につけるというのは、ハッキリ言うとやらないならやらないでもいいことです。
やらないことで誰の迷惑にもなりませんし、あなた自身も今すぐには困らない。
しかしそのやらなくてもいいことが、人生を変える可能性を秘めているという事実は知っておいて損は無いと思います。
世のほとんどの人は、この事実に気づかず、雇う側から課された”やらなくてはならないこと”を懸命に消化します。
それが雇う側を裕福にするためとは知らずに。
人は1人では生きてはいけないとはよく言われますが、かといって誰かに依存して生きていると、間違いなくあなたの人生に歪みが生じます。
多少頼りにする分には構いませんが、労働者のようにおんぶにだっこ状態では弊害の方が大きくなります。
依存したりただ流されているのは非常に楽です。何も考えず、行動しなくてもいいので。
しかし、流れ着いた先があなたの行きたい場所である保証はありませんし、文句は言えません。
あらぬ場所に辿り着いて、挙句引き返すこともできないという事態にもなりかねないわけです。
目を閉じて流されていたので、帰り道がわからない。
一度きりの人生、どのようにプランニングするかは自分で決めたくはありませんか?
そのためにはあなたの意志を呼び覚ます必要があるんです。
他の誰でもない、あなた自身の人生を生きるためには、他力本願ではいけません。
あなたの意志の赴くままに行動すると、得られる収穫は全てあなたのものとなります。
自分で稼ぐ力がまさにそうです。
一度習得してしまえば、生涯あなたの中に残り、あなたの人生を豊かにするための強力な武器となるでしょう。
他力本願で何もかもを搾取されるのと、自分の意志で行動し、収穫を全て受け取るのと、正しい選択はどちらでしょうか?
ここまで読み進めてこられたあなたは、労働生活の弊害と自分で稼ぐことの重要性にお気づきのことと思います。
これらのことに着目できている時点で、すでに大衆の思考からは抜きん出ていると同時に、自分の人生を生きるチャンスを掴みかけています。
せっかくこのレベルにまで自身を引き上げることができたのなら、あとはできるだけ迅速に行動を起こすのが賢明と言えます。
この国は比較的平和とは言われていますが、いつ何時解雇されるかわからないという観点では非常に物騒です。
自分で稼ぐ力は、こんな世の中を生き抜いていくための強力なツールです。
丸腰では生き残れませんし、自分の人生を生きることなど到底不可能なんですね。
加えて、時計の針は止まってはくれません。常に動き続けています。
だとしたら、やはりいち早く行動を起こした方が、自由になった後の時間が長くなりますから得なわけです。
老後は働かないで余生を謳歌する、多くの人が考える人生設計ですね。
しかしなにも、働かないのは老後じゃなくてもいいんです。
行動を起こし、自分で稼ぐ力を身につけさえすれば、セミリタイアだって夢ではなくなるんです。
現に、すでに行動を起こしている人たちは、労働生活から解放されて自由な人生を送っています。
これはウソでもなんでもなく、紛れもない事実です。
宝くじが買わなきゃ当たらない、サッカーのシュートが撃たなきゃ入らないように、アクションを起こさなければ自分の人生を生きることはできません。
人生は有限です。であれば、いつ行動すればいいのか、すでにおわかりかと思います。
〜あとがき〜
親の言うとおりに、みんなもそうしているから
今思えば、大学受験や就活の時点で、すでに他人に流されていたんですね。
しかし当時は、そんな他人の価値観に抗う力など持ちえず、言われるがままに生きていた気がします。
人生の選択肢ってこんなに少ないのか?
晩御飯はカレーにするかシチューにするか、なんていう選択肢はたくさんあるのに、人生レベルの話になると、途端に道がなくなってしまう。
これは絶対に何かおかしい。もっと色んな道があるはずだ・・・。
若い頃から芽生えていた違和感は、どうやら正しかったようです。
道はある。ただ見えていなかっただけ。
他に道は無いものだと思い込んで列に従うか、あると信じて自ら探しにいくか。
どうせ限りある命ならば、究極までに自主的な人生を歩みたいものですね。