大学を卒業し、周りと同じように就職して社会人一年目として新生活を送る。

 

 

新しい土地に新しい環境、初めての1人暮らしなど、毎日がとてもフレッシュで刺激的だったのを覚えています。

 

 

親里離れた土地にたった1人で乗り込んで生きていくわけですから、多少の不安や寂しさもありましたが、それよりも、

 

 

これからどんな楽しい生活が待っているんだろう

 

1人暮らしで自由を満喫するぞ!

 

たくさん稼いで趣味にお金を使うぞ!

 

余ったお金は将来のためにしっかり貯金しておこう

 

 

という期待感とワクワクの方が勝っていました。

 

 

・・・しかし、です。

 

 

就職して半年もするとだんだんとわかってくるんですよね。

 

 

あれ、毎日同じことしかしてないな・・・

 

 

どうやら現実はそんなに甘いものではなかったようで、当初抱いていた前向きな気持ちはあっという間に打ち砕かれてしまいました。

 

 

やっていることは家と職場の往復だけ。どんなに季節が移り変わろうと年が変わろうと、目の前の現実は1ミリも変わらない。

 

 

このままでいいのか

 

こんなはずじゃなかった

 

 

そんな風に思ったが最後、強烈な負の感情がこみ上げてきたのでした。

 

 

家と職場の往復の人生に強烈な虚無感を覚えた

 

決まった時間に起きて飯食って職場へ

 

長時間働いた後はクタクタなので家に直帰

 

晩飯と安酒を流し込んで睡魔がピークに達し撃沈

 

また決まった時間に叩き起こされて飯食って職場へ・・・

 

このお決まりのパターンをこの先あと40年以上も延々と繰り返していくと考えた時、自分の人生って何なんだろうと怖くなってきました。

 

 

世界はとても広いのに、全く景色の変わらない一本道をひたすら歩き続けるだけの人生。

 

 

家と職場の往復だけという現実に抗いたくて、出勤前や退勤後にお店に立ち寄ってみたりもしました。

 

 

しかしその程度のアクションでは灰色の現実を塗り替えることなんてできないんですよね。

 

 

仕事以外の自由時間を使って体を鍛えたり新しい趣味を見つけたりもして、その時は時間を忘れてしまうくらい没頭できるのですが、手を止めた途端に強烈な虚無感に襲われます。

 

 

今は楽しいけど、どうせまた苦しみがやってくる

 

 

少しでもこんな風に考え始めたらもう終わりです。

 

 

理想と現実のギャップ。これを体感するのは決まって日曜夜〜月曜の朝方にかけてでした。

 

 

現実に引き戻されそうになると、明らかに心と体が拒否反応を示す。

 

 

動悸が止まらず寝つきも最悪で、やっとウトウトしてきたと思ったら悪夢で飛び起きる。

 

 

月曜日は当然寝不足で、なんの前触れもなく急に体が熱くなって汗が噴き出す。これを毎週のように繰り返すわけです。

 

 

平日は自由時間なんてほとんど無いに等しく、たまの休日に思いっきり楽しもうものなら副作用にも似た症状を伴って現実へと引き戻されてしまう。

 

 

とにかく時間が無く、頑張っている自分自身をいたわることも許されないままに日々が過ぎ去っていく。

 

 

一体なんのために生きているのかが次第に分からなくなってきてしまいました。

 

 

家と職場を往復するのは誰のため?

 

嫌なことがあっても我慢して、やりたいこともまた我慢して、必死に歯を食いしばって耐えて自分を追い込む。

 

 

大切な家族と過ごす時間を削り、大好きな趣味も我慢して、嫌いな上司に愛想笑いを振り撒き、お局おばさんのご機嫌を取る。

 

 

人格を捻じ曲げ命を燃やして受け取れる対価はというと、一か月をただ生きるだけの細い給料だけ。

 

 

外食や旅行なんてもはやどこか遠い世界の夢のようで、仕事終わりの労いのビール一本すら家計に響く。

 

 

必要な出費が出て行った後にはほんのわずかなお金が残っているだけで、下手をすれば給料だけでは足りないほど。

 

 

頼みの綱は年2回のボーナスですが、毎月のマイナス分の補填とローン返済にごっそりと持って行かれてしまう。

 

 

多少余裕がある時は美味しいものを食べに行くけれど、そのチャンスが年に2回だけしかないと思うと途端に悲しくなってくる。

 

 

そもそも給料というのは基本的に生かさず殺さずの絶妙な金額に設定されています。

 

 

一向に楽にならないし苦しい、けど働かないと生きていけないからまた働くしかない

 

 

実は会社のオーナーはこういう人間が一番欲しいんです。なにしろ会社の利益のために末永く働いてくれますからね。

 

 

自由もなければお金もない。だから毎日が家と職場の往復だけになってしまうし、ただひたすらに苦しい

 

 

あまり言いたくはありませんが、雇われの人間というのはこのような境遇になるように最初から仕組まれているんです。

 

 

あなた自身は食べていくだけで精一杯なのをよそに、会社のトップは高級外車を乗り回してネオン街へと消えていくわけです。

 

 

これ、いくらなんでも悔し過ぎませんか?

 

 

この事実に気づいた時は、なんだか人生そのものを握られている気がして心底嫌でしたね。

 

 

このままではダメだと思って始めたこと

 

月曜の出勤時にふと周りを見渡すと、誰もがみな暗い顔をしてうつむき加減で行進していて、その目に光はありません。

 

 

つかの間の開放感からか、活気があるのは金曜の仕事終わりだけ。

 

 

このままではあと何十年も同じことの繰り返しになるだけだ

 

 

およそ10年間、家と職場を往復する生活を送ってみましたが、現状は平行線のままで1ミリも動きませんでした。

 

 

10年やってみてダメならおそらくこの先も好転していく見込みはないです。

 

 

多くの人はそれを”安定”と呼ぶのだと思いますが、何もかもが決まりきっていて同じ景色しか見れないという意味では正解かどうかは怪しいところです。

 

 

微動だにしない現状を少しでも変えたくて僕が活路を見出したのが”副業”です。

 

 

黙っていては何も起こりませんし、それによって訪れる未来なんて分かりきっています。

 

 

ただ、自分で何かしらのアクションを起こせば話は変わってくるだろうことも何となく分かりました。

 

 

数ある副業の中から選んだのは、”完全自主性のお金稼ぎ”です。

 

 

つまりは、誰かに雇われてお金を貰うのではなくて、あくまでも自分でお金を生み出すということ。

 

 

ただでさえ本業であれこれ縛り付けられているところに副業までも労働者を選んでしまっては、それこそ完全に家と職場の往復だけになってしまいますからね。

 

 

自分の力だけでお金を稼げるようになれば、家計の助けになりますし欲しい物やちょっとした旅行なんかにも手が届くようになります。

 

 

さらに頑張れば本業の稼ぎを飛び越えることも十分あり得ますから、そうなったら正規雇用でみっちり働き詰めなくてもいいですし、思い切って脱サラなんかも可能です。

 

 

とにかく今よりも選択肢が増えるわけです。これが一番のメリットだと思いますね。

 

 

雇われの労働者一筋では進める道もまた一本ですが、自分で稼ぎを上げられることで色んな方向に進めるようになります。

 

 

もっと日常や人生に幅を持たせたいと思うなら、挑戦してみる価値はあると思いますよ。

 

 

どうせなら自分の思い通りに日常をデザインしよう

 

何もかもが限定され抑え込まれた日常を生きてると忘れてしまいがちですが、本来僕たちは選択肢と可能性に溢れているはずなんです。

 

 

それが時代錯誤の価値観や凝り固まった思想、世間の視線といった強烈な圧力によって潰されていく。

 

 

この圧に負けて屈してしまうから毎日が家と職場の往復だけの単純作業になってしまうし、人生が楽しくなくなるんです。

 

 

無論、外からの圧力は凄まじいものがありますから、それを弾き返すのは簡単なことではないとは思います。

 

 

ただ、だからといって大人しく従っているだけというのもなんだか違和感を覚えます。

 

 

でもみんなそうしているし

 

自分だけ踏み外すのは気が引ける

 

周りの視線が怖い

 

 

といった声が聞こえてきましたが、その罪悪感やうしろめたさって何の意味がありますか?

 

 

そうやって誰かの顔色を伺うことが最優先で、”自分はどうしたいのか”が二の次というのはどういう理屈なんでしょうか。

 

 

他人の言いなりになって行進したところで、どこまでも搾取されて不自由な人生しか送れないようにこの世の中はできているんです。

 

 

どうせならやりたいことは全部やり尽くしたいし、夢も理想も全取りしたいと望む方が人として正常だと思うんです。

 

 

他人に振り回されて不自由で息苦しいままで生きていく

 

自分の力で現状と未来を変えていく

 

 

あなたの本心が躍るのはどちらの道ですか?