20代後半〜30代というのは色々と考えることが多い年代ですよね。
その中でも特に頭を悩ますのが”仕事に関すること”だと思います。
今の仕事をこの先もずっと続けていくのか
もっと待遇の良い仕事に乗り換えるべきか
激務と人間関係のストレスで発狂しそうだ
もしもリストラされたらどうしよう・・・
全力で駆け抜けてきた20代の経験と、まだ見ぬ将来との間で何度も葛藤を繰り返す。
その上で、満足感や充実感といったプラスの感情よりも、不安や焦り、悔しさや虚無感といったような負の感情が色濃く出てくるようであれば、それはあなたの中で何かが引っ掛かっている証拠だと思います。
そんな時に考えて欲しいのが、”これからの人生、自分はどう生きたいのか”ということ。
多くの人は仕事を最優先に考えがちですが、一番大事なのは自分の本心だと思います。
ひと昔前までは人生を仕事に捧げるという生き方が主流でしたが、今はもうそんな時代ではありません。
お金を稼ぐ方法や働き方は実に様々で、これはつまり自分の理想のライフスタイルに合わせて仕事を決められるということです。
仕事も人生もワンパターンだと決めつけてしまうと本当にその通りになってしまいますから、物事を柔軟に捉えることが大事になってきそうですね。
4年制大学に進んで医療系の国家資格を取って新卒で就職し、およそ10年間社会人として生きてきました。
社会人になる前と後では自分にとっての”仕事観”、つまりは仕事の意義や位置づけ、考え方が大きく変わった気がしますね。
大学受験の際、この職業を熱望したかというとそんなことはなくて、医療系でしかも国家資格を持っていれば手に職だし食いっぱぐれる心配がないし安定、という観点から選びました。
自分がやりたいかやりたくないかという問題をそっちのけで選んでしまったため、在学中は来る就職のことを考えてはいつも憂鬱な気分になっていましたね。
ただ、曲がりなりにも自分で選んだ道ですし、いざ働いてみると案外楽しい仕事かもしれないという前向きな気持ちも少しありました。
必死に頑張って働いていれば奨学金なんてすぐに完済できるし、お金にも余裕ができて楽しく生活できるだろう、と。
30歳の節目を迎えて痛感していることがあって、それは”雇われの労働者であり続けることの限界と危機感”です。
誰かに雇われるというのは、給料を受け取る代わりに捧げる代償があまりにも大きすぎるんですよね。
平日は義務と束縛で埋め尽くされて一切のコントロールが効かないし、休日数も完全に決められています。
それに肝心の給料でさえも、生かさず殺さずの絶妙な金額に調整されていますからね。
毎月の奨学金の返済が家計を圧迫し、入ってくるお金よりも出ていくお金の方が圧倒的に勢いがある。
貯金なんて全然増えないし、趣味の道具はおろかちょっとした嗜好品すら買えないほどに苦しい。
今のままでも十分苦しい、けど働かないともっと苦しいからまた働く。このループを延々と繰り返す。
”安定”と聞くと良いイメージが浮かびがちですが、僕としては”ただ身動きが取れないだけ”と解釈しています。
自由を奪われ、日常をコントロールされ、一切の余裕がないお金を貰ってただ生きるだけ。これこそが安定の正体でした。
学生時代に思い描いていた淡い期待は完全なる楽観視だったと思い知らされましたね。
それに今の時代はごく当たり前のようにリストラに遭いますし、人工知能の勢いも凄まじいものがあります。
僕の職種は誰がやっても同じで、そもそも人間がやらなくてもいいような仕事内容でした。この先まず間違いなく機械に食われるでしょう。
もしかしたら明日の今頃は路頭に迷っているかもしれない。そう考えると雇われの労働者一筋で生きているのがどれだけリスキーなことかを悟りました。
20代は葛藤の連続で苦労もたくさんしましたが、現実を知り、仕事観が大きく変わったという意味では収穫がありました。
自分の中での仕事観がある程度確立したので、30代からはどんな生き方をしたいのかを考えてみることにしました。
雇われの労働者の不遇を知り、その反発なのか分かりませんが、”とにかく自由に生きていきたい”と思う気持ちが強くなりましたね。
元々、誰かの言いなりになったり同じ場所でじっとしているのが性に合わないというのもあると思います。
もうこれ以上自分を抑え込むのはうんざりでしたし、お金にも相当苦労してきたので、”自由もあってお金もある人生を送りたい”と考えるようになりました。
20代までは周りの大人や友達、世間体などとにかく外からのノイズばかりを拾って生きてきましたが、それでは納得のいく人生は送れなかったです。
自分の本心を完全に無視していたわけですから当然といえば当然ですよね。
”花の20代を無駄にした!”とは思いたくありませんが、正直なところ悔しさは残ります。
なのでこれからは自分の思い描いた通りに、納得のいく生き方をしようと決めました。
この先あと何十年もの時間を仕事で埋め尽くすと考えた時、どうしても明るいビジョンが見えてきませんでした。
不自由が圧倒的な割合を占め、それでいてお金にも振り回され続ける。これでは自分の理想と正面衝突してしまいます。
ということで考えついた答えは非常にシンプルで、”雇われの仕事にこだわらない”というものでした。
頼み込んで雇ってもらうことでしか生きられない、という致命的な弱点を背負っているせいで足元を見られて何もかもを勝手に決められてしまうんです。
月額17万という値札を貼られて全ての自由を奪い取られる←人生の舵取りができなくなる原因はこれです。
今の時代は誰にも雇われずに自分でお金を稼いで生きている人なんて大勢いますし、まとまった資金がなくても誰でも資産を作れますからね。
ちなみに僕はノートパソコンとネット環境だけ用意して全くのゼロの状態から資産を築き上げました。今こうして書いているブログや記事がまさにそうです。
自分の書いた文章が資産になるし、それでお金を稼げる時代なんですね。
それに自分で生み出すお金は”この金額までしか稼げない”なんていう制約は一切ありませんから、やればやっただけ結果が出ます。
どんなに心身を削っても頭打ちの固定給とは大違いなわけですね。
給料はいつまで経っても17万あたりをウロウロしているのに対し、資産に稼がせた17万はその先さらにどんどん額が跳ねます。
給料の17万と自分で生み出した17万。金額こそ同じでもその重みや可能性は段違いです。
だったらより可能性のある方に賭けたい、そう思いました。
ここまで真剣に読み進めてくれているあなたもまた人生の岐路に立っていることと思います。
自分の人生と真面目に向き合う姿勢、いいですね。
まずはこれまでを振り返り、あなた自身の仕事観を整理するのがいいかと思います。
加えて、自分の本音に耳を傾ける作業もやっておきたいところですね。
僕としては、誰かに雇われて人生を仕事と不自由で埋め尽くすだけが全てではないし、誰にも雇われずに自由気ままに生きていく選択肢もあるよ、ということを強く言いたいです。
じっくりと時間をかけて、あなたなりの答えを見つけてみてくださいね。
〜あとがき〜
狭いかごの扉を開け放つと鳥は大空を自由に飛び回る。
首輪を外された犬は嬉しさのあまり乱舞する。
水を得た魚はどこまでも泳いでいく。
僕たち人間も一緒で、リミッターが外れることでポテンシャルが飛躍したり、才能が爆発するというのはよくある話です。
今はただ抑え込まれているだけであって、本来自分には無限の可能性が眠っている。そう考えるとワクワクしませんか?
そのワクワクを原動力にしてアクションを起こした人間は次々と自由と富を掴み取っています。
旅するように暮らしたり、ビジネスオーナーになって稼ぎまくったり、趣味が高じてその道のプロフェッショナルになったり。
こんなことが一個人にもできてしまうわけですから、今の時代そのものにも大きな可能性を感じます。
どうやら僕の場合は、”圧倒的自由とちょっとの仕事”という生き方が性に合っているようでした。
こんなサラリーマンの真逆を行くようなライフスタイルであっても十分実現できるんですね。
ただ黙ってじっとしているだけではどこまでも損をするのが今の時代。
しかしながら、自分の頭で考えて行動に移すことができれば、現状や将来はいくらでもいい方向に持って行けます。
要はやるかやらないか、ただそれだけの話なんですね。