人生において仕事とプライベートは決して切り離せない関係にあります。
仕事に重きを置くのか、それともプライベート重視のライフスタイルを望むのかは人それぞれです。
そんな中、世の中のほとんどの人は有無を言わさず仕事が生活の、もっと言うと人生の中心に位置していますね。
仕事が本当に楽しくてやりがいがあって、人生という時間の大部分を捧げてもいいと思っているのであれば何の問題もありません。
反対に、仕事が嫌で今すぐにでも辞めてやりたいと感じていたり、生きるために仕方なくやっているだけ、プライベートにもっと比重を置きたいと考えている人にとっては単なる苦痛でしかないわけです。
一発勝負の人生にも関わらず、そのほとんどの時間を我慢と苦痛に持って行かれてしまうというのは何だか違和感がありませんか?
周りの人間もみんなそうしている
それはそうかもしれませんが、だからといって諦めるのは悔し過ぎませんか?
今回は、仕事とプライベートのバランスは誰にでもひっくり返せるということ、そのためにやるべきことについてのお話です。
もっとプライベートの時間を増やしたいという健全なあなたに読み進めて欲しいと思います。
これは世の中のほとんどの人が選択するまさに王道ルートですね。そして、
このお決まりのパターンを40年以上も延々と繰り返して生きていく。
ここで考えて欲しいのが、この王道パターンの通りに歩んだとして、一体どれくらいのプライベート時間があるのかということ。
日常では自分の好きに使える時間は帰宅後のわずか数時間ですが、それすらも家事や育児や持ち帰った仕事を消化するために削られてしまい、残ったのは寝る直前の小一時間しかない。
何十年と勤め上げて、ようやく解放されるのは心身ともに衰えたあと。
人生100年時代と言われますが、健康寿命でいうともっと短命ですし、挙句の果てに定年や年金受給年齢の引き上げが平気で行われています。
王道ルートを寸分狂わず歩く人間は、一体どれだけ働き続けなければならないのでしょうか。
圧倒的な労働時間とトイレ休憩程度のプライベート。どう考えてもアンバランスな配分ですが、これが僕らの国で唯一真っ当で安定した生き方なんだそうです。
”安定”という言葉を異常なまでに美化して称える人が多いですが、昔と今とでは安定の中身がまるで違っています。
ひと昔前までは生活に不自由ないくらいの水準の給料を安定して受け取れることに加え、終身雇用という強力な後ろ盾がありました。
それが今では、残っている安定材料は1か月をただ生きるのでギリギリの薄給のみで、いつ何時首を切られてもおかしくない状況です。
世の中の多くの人が信じて疑わない安定は、すでに安定とは言えなくなっているんですね。
何が言いたいのかというと、”そろそろ自分の目で見て自分の頭で考えないと、どこまでも損をするだけ”ということです。
本来選択肢が無数にあるのが今の時代で、にも関わらずそのほんの一部だけを切り取って生きているからこそ、生涯苦しみ続ける羽目になるんですね。
もっとも、今のあなたは仕事とプライベートの比率が狂っていることに疑問を投げかけることができていますから、この際古びた考えを脳内から取り除いてみるといいと思います。
なんとなくおかしいんじゃないか?本当は誰しも頭の中ではそう思っているはずなんです。
ただ、別に今のままでいいやという怠惰や、それまでの自分を否定することになるのが嫌な気持ちが強いために、それ以上考えることをしないんですね。
それにこの国には出過ぎた釘は打たれるという風潮が未だに根強く残っていて、この点が抑止力となっているためになかなか他人と違う方向に舵を切れないという実情もあると思います。
ですが、自分の思い通りの人生をデザインしたいと考えるならば、こういった妨害を振り切る勇気が必要になってきます。
聞き分けの良いお利口さんのままでは仕事とプライベートのバランスはこの先も不変ですから、まずは頭の中をサッパリさせてみましょう。
圧倒的な仕事時間と、おまけ程度のプライベート時間。
この偏ったバランスを変えるためには、仕事に対する考え方も見直しておくべきと言えます。
一番の問題点は、あなた自身の時間を切り売りして、その対価としてお金を受け取るというスタイルなんです。
このような働き方をしているがために長時間労働が絶対的な義務になってしまいますし、生活や人生が制限を受けるんです。
単純労働者は働いた分しかお金を貰えませんから、もし辞めてしまうと収入が完全に途絶えてしまいます。
なので生きるためにはずっと働き続けるしかなくて、そうすると人生の主軸が仕事になってしまうわけですね。
ですので、もっとプライベートの時間を増やしたいと考えるならば、単純労働とは異なった性質の仕事にシフトする必要が出てきます。
つまりは、あなたの時間を切り売りせずともお金が発生するような方法に切り替えることが必要なんですね。
そんなことできるのか?と思われるかも知れませんが、外界を見渡してみると、単純労働のラットレースから脱出してプライベートを謳歌している人間が数多くいることに気づきます。
可能なんですね今の時代は。その第一歩として、まずは”時間の切り売りだけが全てではない”という考え方をあなたの中に吹き込んでみてください。
なんとなく人生好転の兆しが見えたならいい傾向だと思います。
視野を広くとっていることで、それまで見えなかったものが見えるようになりますし、複数ある選択肢の中から自分に合った思想や価値観を取捨選択できるようになります。
時世を読み、人生を狙った方向に持っていくためには門戸を広く開け放つことを意識するといいかと思います。
一度きりの大事な人生ですから、欲しいのは圧倒的な自由時間。嫌な仕事で埋め尽くしたい人なんていないと思います。
そこで重要な考え方があって、それは”プライベートの時間を増やすためにプライベート時間を有効に使う”ということです。
今現在は仕事とそれに付随することが生活のほとんどを占めている状態だと思います。
そんな中で大事にしたいのが”少しの自由時間”です。
重要なのはこの時間をどのように使うかです。
これらはストレス発散の意味合いもありますから、真っ向から否定する気は全くありません。
ただ、まずは今後のためになることに時間を割いてみてはどうか、というのが僕の意見です。
前項では時間の切り売りだけが全てではないとお伝えしましたが、それに取って代わるのが”資産に稼いでもらう”というものです。
自分が関与せずとも勝手にお金が入ってくる
要は”不労所得”であり、この状態を作り上げることこそが仕事とプライベートの配分をひっくり返せる唯一の方法。
今ある自由時間を、できる限りここに充ててみて欲しいんです。
ただでさえわずかな自由時間ですから、パーッといきたい気持ちはとてもよく分かります。
ですが先に自由時間を増やしておけば、あなたの好きなことややりたいこと、もっと楽しめると思いませんか?
そんなのただ苦しいだけじゃないか!と思われるかも知れませんね。そうです、苦しいですよ。
でもその苦しさの先に圧倒的なプライベートが待っているとしたらどうですか?
不労所得がサラリーマンの給料と同じかそれ以上に育ってしまえば脱サラできますし、月に数万円でも別口で入ってくれば正社員でみっちり働く詰めなくてもよくなりますからね。
ものの1年や2年くらい本気で取り組めばいいわけです。一生を捧げても自由になれないサラリーマンとは雲泥の差ですよね。
要は目線のレンジの違い。手元だけ見つめるのか遥か向こうを見据えるのか。
圧倒的なプライベートと少しの仕事
まずはこれを実現させ、その後で好きなことを好きなだけやりまくればいい。
僕はそう考えたので、仕事後の時間を使って資産と仕組みを整えることを始めました。
幸い僕の場合はほぼ定時に上がれることが多かったので、帰宅後に色々やって寝るまでにはおよそ5時間ほどの時間を確保できました。
この5時間を資産形成に極振りしたわけですが、1年単位で考えると年間平日数がおよそ240日くらいですから、単純計算で1200時間となります。
時間というのはとても強力な武器であり、何にどう使うのかで人生そのものがガラリと変わってしまうほどの威力を秘めています。
何に重きを置くのか、優先順位をつけるのか次第で取り返しのつかない程の差がついてしまいますからね。
自由時間を全てストレス発散と現実逃避に使うのか、それとも将来を見据えて仕組み作りに充てるのか。
周囲の人間がただダラダラとスマホを眺めて寝るだけなのに対し、あなたはコツコツと資産や仕組みを育てていく。
最後に笑うのは間違いなくあなたの方で、実際に圧倒的自由を手に入れて悠々自適な生活を送っている人が大勢います。
無論、残業や臨時の呼び出しがあったりと、なかなか時間の捻出が難しいこともあると思います。
ですが、ほんの少しでもいいので先を見据えて動く習慣をつけてみてください。
それが当たり前のようにできるようになれば、現状は間違いなくいい方向に向かっていきますからね。
仕事に埋め尽くされた日常が本当に嫌で、もっとプライベート時間を増やして楽しく生きていきたい。
こういった願望はただ祈りを捧げているだけでは絶対に叶わず、自分の意志で動いた人間だけが掴み取れるものです。
時間軸で考えると、自分の意志で動かせるのは過去でも未来でもなく今この瞬間だけです。
自分はどんな風に生きたいのか、どんな風になりたいのか、そのためにリアルタイムをどの方向性で使うのかを自問し、目的地が定まったらあとは実際に動き出しましょう。
・・・とは言うものの、実際に行動に移すことができる人間というのはほぼ皆無なんですよね。
ああしたいこうしたいこうなりたいという欲求ばかりをパンパンに膨らませて、そのせいで理想と現実のギャップがどんどん開いていく。
何もしないことで自分の首が締まっていく。だから日常が苦しいし辛いと感じるし、思い通りにならない人生に対して卑屈になったりもする。
しかしながら、ただじっとしてるだけでは何も起こらないのは当然で、それに対してケチをつけるというのはよく考えると自分勝手な気がします。
それに負の感情ばかりを全身に溜め込んだままで年老いて一生を終えるのってなんだか虚しいと思います。
それが嫌で自主的に行動したほんの一握りの人間は、その他大勢とは全く違った次元で生きています。
泥臭く資産と仕組み作りをした結果、不労所得がサラリーマンの給料を超えてしまった人もいますし、脱サラをして毎日自由に暮らしている人もいます。
そういう人種に共通しているのは、自分の人生に対しとても貪欲で、野望のためにコツコツと地道な努力を積み重ねられる点です。
何かの特殊能力があったから成功しているわけではありませんし、誰かに拾い上げてもらったわけでもありません。
その意志さえあれば誰でも夢や理想を叶えられる。それが分かっているのであれば、大人しくじっとしている必要なんてないと思います。
先程もお伝えしましたが、資産や仕組みの整備はなにも何十年とかかるものではありません。順調にいけば数年で軌道に乗ります。
たかだか数年で自由とお金が両取りできるんです。そう考えると安いものではありませんか。
自分の人生にガツガツと熱くなれる者だけが辿り着ける世界がありますよ。