今の仕事が無意味に感じる

 

実は無駄な時間を過ごしているだけなんじゃないか

 

何でこんなことやってるんだろう

 

こんなことを続けていて大丈夫なんだろうか

 

 

自分の仕事に意義を見出せないというのは辛いし苦しいものです。

 

 

活力が湧かなければパフォーマンスも上がらない、けどやらないと生きていけないから辛くても我慢するしかない。

 

 

何とか頑張ってみるけれど、ふとした瞬間に言いようのない不安と虚しさに襲われる。

 

 

ただ、そういう負の感情というのは、裏を返せば現状に満足していない証拠だと思います。

 

 

もっと前向きに有意義に、そんな上向いた気持ちの裏返しだと思うので、僕は良い兆候だと考えています。

 

 

自分の立ち位置に疑問符を投げかけるのは、物事をより良い方向に持っていくきっかけになりますからとてもいいことですよ。

 

 

そのままの勢いでぜひ読み進めてくださいね。

 

 

無意味な労働だと感じる理由

 

せっかく貴重な時間と労力を捧げているわけですから、できることなら有意義に働きたいと思うのは誰でも同じなはず。

 

 

でも現実って冷たくて、モチベーションが下がる要素の方が圧倒的に多いんですよね。

 

 

無意味な労働だと感じる理由としては、以下のようなところでしょうか。

  • 誰がやっても一緒でやりがいがない
  • 一生懸命頑張ったところで給料は上がらない
  • その業務をやってもやらなくても業績には全く影響ない
  • サボってる老害の方が高給取り

 

誰がやっても一緒でやりがいがない

 

別に自分じゃなくてもいいし、誰がやっても同じ結果が出るというのは経営側からしたら理想的なのかもしれません。

 

 

でもこれって、自分の力量とか頑張りとか効率の良さといった要素、つまりは他人と差をつけられるはずの武器が全く通用しないということです。

 

 

これではやりがいを感じられませんし、それに”君の代わりなんていくらでもいる”と言われているようで虚しいです。

 

 

一生懸命頑張ったところで給料は上がらない

 

この国の企業は固定給制を採用しているところが多く、一定時間働けば一定の給料が受け取れる反面、個々の能力は重要視されません。

 

 

このため、どんなに知識や技術を高めて、誰よりも効率よく多くの業務をこなしたところで、その成果や頑張りはまず給料に反映されないんですね。

 

 

それに仕事ができる人間の出した成果は、仕事をしない人間との間できれいに分配されてしまいます。

 

 

あなたが汗水流して必死に働けば働くほど、ボーっとコーヒーを飲んでいるだけの老人に給料をくれてやっているようなものなんです。

 

 

もうどうでもよくなってきますよね。

 

 

その業務をやってもやらなくても業績には全く影響ない

 

会社の利益のためには必要不可欠で、売り上げに直結するような業務であれば多少はやる気も出るものですが、別にやらなかったところで影響ないような仕事もあります。

 

 

既成事実が欲しいだけの勉強会の資料を作れとか、世間話しかしない会議に参加しろ、倉庫からどうでもいい資料を発掘しろなど。

 

 

たまに振られるくらいならまだいいですが、これがメイン業務となると本気で辛いです。

 

 

貴重な時間と体力を割いて、全く意味のない無駄なことをしなければならないわけです。そのくせ定時までに終わらないといっちょ前にサービス残業ですからね。これはストレス以外のなにものでもありません。

 

 

サボってる老害の方が高給取り

 

無駄に歳を取っているだけで中身が空洞な老害はどの職場にも必ず1人は棲息していて、彼らは固定給制と年功序列制という2つの旨味にどっぷりと浸かり込んでいます。

 

 

リアルタイムで必死に頑張っている若手よりも、ダラダラと長く存在し続けただけの人間の方が給料が高いというのはどういうことですか。

 

 

無論目上の人に対するリスペクトは必要だとは思います。しかしただ単に歳が上=偉いという構図には賛同しかねます。

 

 

これでは必死こいてやってるのがばかばかしくなってきますね。

 

 

 

無意味だと感じる理由はこの他にもたくさんあると思いますし、ほんとうに人それぞれです。

 

 

ただ共通しているのは、”自分にとってプラスになっている実感がない”ことではないでしょうか。

 

 

だから無意味だと感じるし、やる気もモチベーションも、そしてパフォーマンスも上がらないんだと思います。

 

 

自分自身が無意味な存在だと思うのは大きな勘違い

 

あなたは今まさに無意味な労働を頑張ってこなしている最中かもしれませんね。

 

 

そんな中で絶対にやってはいけないのが、”自分自身に矛先を向けてしまうこと”です。

 

 

確かに今の仕事は無意味に感じるかもしれません。でもそれに引っ張られて自分を責めるべきではありません。

 

無意味な労働しかできない自分自身も価値がない

 

無駄なことに時間と労力を割いている自分こそ無意味

 

こんな風に負のベクトルを自分に向けてしまうと、プライベートや人生そのものに暗い影が落ちてしまいます。

 

 

人はそれぞれ抱えている事情や境遇が違いますから、必ずしも思い通りの職に就けるとは限りませんし、人の価値は就いている職では決まりません。

 

 

単に今の仕事がミスマッチだったというだけの話ですから、そこまで悲観しなくても大丈夫ですよ。

 

 

無意味の状態から持ち直すのは正直難しい

 

僕も以前にやる意味が全くわからないような業務を任されていた時期があります。

 

 

別に干されていたとか煙たがられていたわけではないのですが、その職場はとにかくどうでもいい仕事で溢れかえっていたんです。

 

 

そこでどういうわけか、無理矢理にでも価値ややりがいを見出そうとしたことがあったのですが、はっきり言ってそれこそが無駄な労力でしたね。

 

 

というのも、”無意味”というのはメンタル面で言ったらまさにどん底なわけで、完全に熱が冷めきっている状態です。

 

 

そこから持ち直して有意義に取り組めるようになるなんて到底無理な話なんですね。

 

 

何年か続けてみて、どうやっても熱が入らないのであれば、そこはもう諦めて別の道を考えた方がいい、というのが僕の意見です。

 

 

そんな低く暗いメンタルのままでこの先も嫌々労働を続けていくなんてただの苦行でしかありませんからね。

 

 

無意味な労働だと感じた時に考えるべきこととは

 

今の労働をこれ以上続けていく自信がない、そんな時に考えて欲しいのは”結局自分はどうのように生きていきたいのか”ということですね。

 

 

この問いに対する答えによって取るべき選択肢が変わってきます。

 

 

例えばですが、今の仕事が無意味だと感じるだけであって、働くこと自体は好きだし続けたいと考えるならば転職が最適です。

 

 

そうではなくて、そもそも労働自体がそんなに好きではないから、最終的にはFIREしたいと思うなら、今のうちから資産形成に取り組むのがいいと思います。

 

 

あとは、正職員としてみっちりは嫌だけど適度に働きたいのであれば、パートと副業のハイブリットなんて手もアリですね。

 

 

このように、今の時代は働き方がものすごくフレキシブルで、ライフスタイルを自分の思い通りにデザインできるというのが1つの魅力ですね。

 

 

ですので、今現在無意味な労働だと感じているならば無理にしがみつく必要なんてありませんし、さっさと見切りをつけて別世界を見に行けばいいんです。

 

 

ちなみに僕は過去に3回の転職経験がありますが、複数回の転職なんて今の時代は普通です。

 

 

殻に閉じこもってじっと耐えているだけでは事態は好転していきませんから、思い切って何かしらのアクションを起こしてみるのが大事ですね。

 

 

本当に自分のためになることに注力するといい

 

損得勘定なのかもしれませんが、結局のところ力を入れるべきは”自分にとってプラスになること”だと思います。

 

 

もちろん他人を騙したり陥れたりして自分だけのし上がろうとするのはNGですが、そうでなければ自分主体で物事を考えた方がうまくいくと思います。

 

 

他人のことばかり気にしているから色んなことがズレて狂ってしまうんですよ。

 

 

盗めるものや得られる収穫が無いならばスパッと環境を変えればいい。

 

 

経済的な豊かさが欲しいならば副業や資産作りに精を出せばいい。

 

 

僕は今30代に足を突っ込んだところですが、健康寿命で言ったらあと数十年です。

 

 

意味のある遠回りならばいいですが、心身がフレッシュな時間なんて限られていますから、無意味な回り道をしているヒマなんてないと思っています。

 

 

一度きりの人生ですから、有意義で充実した内容にしたい。僕はそう思いますし、ここまで読み進めてくれた熱心なあなたも同じ考えのはず。

 

 

最期に自分の人生を振り返ってみて、中身がすっからかんだったなんて悲し過ぎませんか?

 

 

そうならないためにも、まずは他の誰でもなくあなた自身のために時間と労力を使うことを意識してみてください。

 

 

いい意味で”自己中になることが、人生を上向かせるためのカギではないかと思っています。