自分だけが場違いな存在のように感じる
同僚と同じ空間にいるだけですごく違和感を覚える
上司や同僚から白い目で見られている気がする
職場というのは色んな人間が入り乱れるコミュニティであり、その中で一週間のほとんどの時間を過ごすことになります。
できることなら気分よく仕事をしたいものですが、残念ながらそう上手くはいかない。
”この人ちょっと合わないな”と感じる人間というのはどの職場にも必ず1人はいるもの。
苦手な人間はいるけど仲のいい人間もちゃんといる、というのならまだ救いがあります。
しかし、気の合う人が全くおらず孤立無援の一匹狼となるとこれはつらい。
仕事に行く度になんだか命が削れている感じがしてどうにも苦しい。息ができない。
かつてはこんなどん底のようなメンタルで職場へ通っていましたね。
今この文章を読んでくれているあなたにも、ひょっとしたら思い当たる節があるかもしれません。
今回は、職場で居場所がなかった僕自身の話や、そんな時に考えてほしいことを綴ります。
少しでも参考になれば幸いです。
自分だけがその他大勢と違うと思ったとき、人は負の感情を抱きやすいです。
どうして自分だけダメなんだ
自分だけが間違っている
頭がおかしくなってしまったのかな
といった具合に、まずは自分自身を責めたがるし、自己肯定感をとことんまで下げてしまう。
だからこそ余計に塞ぎ込んでしまうし、仕事のパフォーマンスも上がらない。
無論、みんながいい雰囲気で仕事を頑張っている中、自分だけがふんぞり返って文句ばかり垂れている、なんて場合は孤立して然りです。
ですがそうでない時は、常にその他大勢が正しいとは限らないわけです。
例えばこんなケースですね。
・ヒマさえあれば常に誰かの愚痴や文句が飛び交うような職場
→陰気臭い雰囲気が嫌で同僚と距離を置いていると、気がついたら孤立していた
・定時が過ぎても意味もなくダラダラと居残っている職場
→特にやることがないので定時で帰ったらみんなに白い目で見られた
・ゴリゴリの体育会系で、先輩や上司の命令には絶対服従の職場
→明らかに理不尽な業務や指示だったので断ったら干された
他にもたくさん思いつきますが、このような場合、狂っているのは間違いなくあなた以外の人間たちです。
その他大勢の言動こそが正しいと錯覚していたけど、よくよく考えたらあなただけがまともだった、なんていうのは実はよくある話なんですね。
ですので、自分だけが違う=自分だけがおかしいと直結させる必要なんてどこにもありません。
今回はいい機会ですので、やみくもに自分を責めるだけではなく、一度冷静になって考えてみるのがいいかと思います。
冒頭でも少し触れましたが、実際に僕自身も過去に働いていた職場で居場所を失いました。
理由はハッキリしていて、理不尽連発のお局様や、嫌味や陰口ばかり垂れる同僚たちにいい顔をしなかったからです。
もちろん僕としても、多少のブラックジョークやギャグ交じりの愚痴なんかはある程度必要だとは思いますし、円滑なコミュニケーションに繋がると考えています。
しかしその時の職場は次元が違って、誰かを罵るときのトーンが本気だし、地面にめり込むんじゃないかというくらいに卑下して突き落とす光景が常態化していました。
そのせいで僕がいた部署はいつもどこか陰気臭く、他部署からの評判もすこぶる悪かったです。
そして恐らくは、
文句ばっかり吹いてないでもっと楽しく仕事すればいいのに
この人達と一緒につるんでると自分もかび臭い人間になってしまう
という不満と嫌悪感が顔に出ていたんでしょうね。最終的に四面楚歌の身となりました。
腹を割って話せる仲間は1人もおらず、昼食をトイレの個室で食べたことも何回もあります。
夜布団に入ってからも、一度仕事のことを考え出すと動悸が止まらず、妙に眼が冴えてしまって寝不足の日々。
午前の業務中は滝のような顔汗と動悸が止まらない。
お酒に逃げたこともありましたが、だんだん美味しいと感じなくなり、アルコールの味しかしなくなって下痢と嘔吐を繰り返しました。
まさに教科書みたいな負のスパイラルですね。命が削れている感覚が自分でもわかるほど。
結局その職場には丸5年間在籍しましたが、当時はただひたすらに辛かったですね。
これは前述の”孤立した原因を考えること”のさらに先のお話になります。
要は”このまま頑張って踏みとどまるのか”、もしくは”見切りをつけて新天地を探す”のかという二択ですね。
ここで経験上言わせてもらいますが、一度でも異端のレッテルを貼られてしまうと、挽回するのは至難の業か不可能です。
子供の頃はたとえ大ゲンカをしたとしても、次の日にはすっかり仲直りしてまた一緒に遊んだものですよね。
それが大人になると、ほんの少しの亀裂があっという間に深い溝になってしまい、二度と修復できなくなります。
ですので、もしも孤立してしまったのなら、早い段階で次の職場なり仕事を探した方が賢明です。
もちろんそのまま残る手もありますが、土砂降りのようなストレスとこの先もずっと付き合っていくことになってしまいます。
人間関係を犠牲にしてまでも残るメリットがあるというのなら話は別ですが、そうでなければ思い切ってリセットしてしまうのがいいかもしれません。
会社の業績が良くて手厚い待遇を受けられ、会社のために働いたらちゃんと還元されるような時代もかつてはあったようです。
それが今となっては、雇われの身はどこまでも足元を見られて搾取されるだけの存在となってしまいました。
会社のために働く時代なんてとうの昔に終わっている現状から言えるのは、1つの職場にこだわる必要なんて全くないということ。
今の時代は転職なんて当たり前で、自分にとって都合がいいかどうかで職を決めればそれでいいんです。
肝心な時に頼りにならない職場に魂を捧げる義理も道理もありませんからね。
たとえ居場所がなくなって前職を辞めたとしても履歴書に傷なんてつきませんよ。
ジョブチェンジにはそれなりにパワーが要りますが、居場所がないままズルズルと残ることのストレスを考えたら安いものです。
自分にとっての理想やメリットを最優先に、フットワーク軽く立ち位置を変えていける人間こそが生き残れる時代、そんな風に感じています。
職場に居場所がなくなってしまったら挽回はほぼ不可能というのは先にお伝えしたとおりです。
そこで第一に転職を考えるわけですが、それと同時進行でやっておきたいことがあって、それは”独自の収入の柱を作ること”です。
結局のところ、どんなに転職を重ねたとしても嫌な人間というのは必ずいますから、対人ストレスが完全に晴れることはありません。
それに雇われの身である以上は、ある日突然首を切られるリスクがゼロではないです。
そのような悩みのタネを摘み取る意味でも、他者に依存せずに収入を生み出せるような仕組みが重要になってきます。
例えば、会社の給料とは別に月10万円入ってくるとしたらどうでしょうか?
これなら突然リストラされてもすぐに収入が途絶えることはありませんし、職場の人間関係が良くなくても精神的に相当楽になるはずです。
そして月10万円とは言わずもっと稼げるようになったとしたら、思い切って職場を辞めるという選択肢も出てきますよね。
どうせ雇われの給料などたかが知れていますから、収入源の構築は今すぐにでも始めたいところ。
これから先の時代は、独自の収入源を持っているかそうでないかで、確実に貧富の差が生まれてくると思います。
いくら頑張っても生活が楽にならないのは国や会社や時代のせいだ
確かに同感ですが、だからといってただ嘆いているだけでは現状はなにも変わりません。
誰かのせいにするのはいい、ただ最後は自分で何とかするしかないんですね。
時世の移り変わるスピードはとても速く、ぼんやりしているとあっという間に置き去りにされます。
そうならないために、今すぐにでも準備を始めるのが賢い選択と言えそうです。
〜あとがき〜
職場では人間関係の悩みが尽きません。
僕は過去に3回転職経験がありますが、どの環境でも対人ストレスは必ずありましたね。
無意味な馴れ合いによって神経をすり減らすのはいい加減うんざりだったので、今は誰にも雇われずにお金を稼ぐことに集中しています。
手取り17万ごときでウロウロするくらいなら、もっと他に稼ぐ方法あるよな
と考えたことが始めたきっかけです。
もはやこの国は先進国ではなく、所得が増える見込みもありませんから、なるべく早い段階で独自の収入の柱を整備しておくのが賢明と言えます。
住む場所も時間も使えるお金も全て決められ、反りの合わない人間と朝から晩まで過ごす。この生活をあと何十年と繰り返すだけの人生。
これは一体なんの苦行でしょうか。
”みんなそうだから”なんてバカげた理屈にこれ以上縛られる必要ないですよ。ほんとに損するだけなので。
何もかも縛られっぱなしの人生が嫌なら、会社に依存しなくても生きていけるようになればいいだけです。
大衆が時代に翻弄されて悪戦苦闘している中、僕たちは軽やかなステップで渡り歩いていきましょうね。