あなたがやりたくないと思っていること、それはズバリ”仕事”だと思います。

 

 

仕事なんて、できることならやりたくないと思っている人が大半なわけです。

 

 

今回は、どうしてやりたくないことをする必要があるのか、やりたくない仕事を続けるとどうなるか、やりたいことだけやるためにはどうしたらいいのかについて考えてみたいと思います。

 

 

どうしてやりたくないことをしなければならないのか

 

そもそも、どうして今の仕事をやりたくないのかをよく考えてみましょう。

 

 

自分に合っていない

 

面倒くさい

 

人間関係が気に入らない

 

長時間労働が嫌だ

 

自分の時間が取れない

 

給料が低すぎる

 

 

などなど、理由は様々だと思います。

 

 

ではどうして、やりたくないことをやらされているのか、それは”雇われている”からです。

 

 

雇われる立場として給料を貰っている身であるならば、どんな仕事でもやらなくてはならない義務があります。

 

 

そこにやりたいとかやりたくないという考えは通用しません。

 

 

お金をあげる。そのかわりにこっちの言うとおりに働いてちょうだいね。

 

 

雇われる側というのは、圧倒的に受け身の立場なんです。

 

 

貰える給料も、やらなくてはならない仕事も、全て自分で決めることはできません。

 

 

それができるなら、誰も嫌いな人間と一緒に仕事をしたり、嫌な仕事をしなくていいはずですよね?

 

 

選択肢を限りなく奪われている状態、それこそが雇われているということです。

 

 

なおかつ、多くの人間はその雇われている状態のままで何十年と過ごします。

 

 

大げさな話ではなく、これでは人生の選択肢を奪われていることと同じと思いませんか?

 

 

雇う側に決められた枠組みの中での生活をヨボヨボになるまで過ごす。

 

 

給料は自由に使っていいよ、職場に近いところならどこに住んでもいいよ、土日は自由に遊んでいいよ

 

 

こんな狭い枠組みの中でだけの有限の自由。これでは水槽の中の金魚と変わらないと思いませんか?

 

 

雇われる側、受け身の立場というのは一見すると楽です。

 

 

雇う側に言われるがままに業務をこなしていればお金がもらえますから。

 

 

ですがその貰ったお金で一体どれほど裕福な暮らしができると思いますか?

 

 

裕福というのは単にお金があるだけでは満たされず、そこには時間の余裕や心の豊かさも必須条件として含まれます。

 

 

いつまで経っても生活が苦しいままで、苦しいからもっと働いて、自分の時間を切り売りして、いつも何かに追われているような焦りを感じながら日々があっという間に過ぎ去っていく。

 

 

ある日鏡を見ると、すっかり疲れ切って老け込んだ自分がいる。

 

 

気がつくと子供がすっかり大きくなっている。

 

 

やりたくない仕事に忙殺されて辿り着くのは、決して豊かにならない人生です。

 

 

世の多くの人はこの事実に気がつかず、ゆっくりと泥沼に足を取られ、やがてどっぷりと浸かってしまうんです。

 

 

やりたくないことをさせられた挙句に人生も奪われる。

 

 

これって恐ろしいことだと思いませんか?一体なんのために生まれてきたのか意味不明です。

 

 

嫌々続けるのはストレスでしかない

 

やりたくもないことを続けるのは、心身に相当なストレスをもたらします。

 

 

人間には多少の耐性や忍耐が備わっているとはいえ、そんなものはすぐに破綻します。

 

 

この世の中には、やれ忍耐が足りないだのストレスに弱いだのと根性論を叫ぶ人間がいますが、そもそも人間はストレスに対して脆弱なのが普通なんです。

 

 

なのであなたも、耐えなきゃとか我慢しなきゃというように、自分を追い詰めないでください。

 

 

もっと自分を労ってあげていいんです。

 

 

僕たちは自身を追い込んで苦しめるために生まれてきたのではありませんから。

 

 

やりたくないことをやらされるのもストレス、一向に豊かにならないのもストレス、我慢と自己犠牲の人生もストレス、すべてがストレス。

 

 

ストレスは人間を食い殺すほどの力を持っています。

 

 

その犠牲者とならないためにも、やりたくないこと、受け身の立場と決別する必要があるんです。

 

 

やりたくないことを頑張るよりも

 

好きでもないことを強制的にやらされることで、あなたの心身は確実に蝕まれます。

 

 

そうならないためには、

 

 

自分で稼ぐ能力を身につける

 

 

この方法を考える必要が出てきます。

 

 

自分で稼げるようになると、雇われて給料を貰わずとも生きていけるので、嫌なこと、やりたくないことをしなくても済むようになり、代わりに好きなことだけやっていればよくなります。

 

 

趣味に没頭するもよし、新しいことに挑戦するもよし、知らない土地に引っ越すもよし。

 

 

誰にも雇われないことで、それまで縛られていた手足が自由となります。

 

 

職場がなくなるので、どこに住んでもいいんです。

 

 

気にくわない職場の人間とは二度と会わずに済みます。

 

 

これこそストレスからの解放であり、圧倒的自由です。

 

 

やりたくもないことを延々と頑張ったとしても、その先に自由が無いことは先にお話しした通りです。

 

 

その代わりに、自由になれる可能性が高いことに力を注ぐ。

 

 

要は頑張るベクトルを変えようということですね。

 

 

今まで、ストレスに苛まれながらも頑張ってきたあなたなら絶対にできます。

 

 

嫌なことを続けるというのは尋常ではないほどにパワーを必要としますので、その労力を自由になるため、自分で稼ぐために充てるんです。

 

 

自分で稼ぐ力をつけて自由を手に入れることは、今の時代誰にでもできます。

 

 

パソコンとネット環境さえあれば、自宅の一室でも取り組むことが可能です。

 

 

初めは雇われる傍らでコツコツと力をつけ、ある程度実力がついて雇われの賃金と比べても遜色ない程度の稼ぎを生み出すことに成功したら、あとは勝ったも同然です。

 

 

あなたに勝手に値札をつけて、家畜のようにこき使った連中に辞表を叩きつけてやりましょう。

 

 

〜あとがき〜

 

労働者という圧倒的不自由な人生を送るのか、それとも誰にも雇われずに圧倒的な自由を謳歌するのか。

 

 

この質問だけを見た場合、選ばれるのは絶対に後者です。

 

 

ですが実際にはそうしない人が大多数なわけです。

 

 

それは、失敗のリスクを極度に恐れ、行動を先延ばしにしているからです。

 

 

先延ばしならまだいいですが、わかっていても結局何もせずに終わる人も大勢います。

 

 

そしてまた労働者として過ごし、愚痴や不満が絶えない人生を送る。

 

 

かつて務めていた職場の人たちは、口を開けば愚痴や文句しか出てこず、僕はいつも嫌な気持ちになっていました。

 

 

何十年も生きているのに、文句を言ったところで何も始まらないことにすら気づいていない。

 

 

文句や愚痴ばかり垂れて何もしないから未だに労働者で、労働者だからまた愚痴を垂れる。

 

 

いい加減、何の生産性もないことはやめにしませんかってお話です。

 

 

僕はそんなドロドロした人間社会が本当に嫌で、そのこともあって自分で稼ぐ力を身につけ始めました。

 

 

付き合う人間を選べて、使えるお金も住む場所も選べる。それでいて時間もある。

 

 

今の時代、労働だけが人生ではないんですね。