一度きりの人生ですから、誰しもできることなら楽しく有意義に生きていきたいですよね。
ですが現実は決して甘くはなくて、夢や希望を感じる暇なんて与えられずに日常が過ぎ去っていきます。
当たり前と化した日常、家と職場の往復、何もせずに終わる休日、殺風景に終わる1年。
人生は日々の積み重ねで形作られますから、毎日なんとなく生きていると、結果的に人生が色の乏しいものになってしまうんです。
ただ忘れてはならないのは、日々や人生は自分次第でいつでもいくらでも動かしていけるということです。
なんとなく生きているだけのような気がする
このように考えているあなたには、現実に抗おうとする火種がまだ残されています。
決まった時間に目覚ましが鳴り、
流れ作業と化した朝食を済ませて、
半分寝ぼけたままですし詰め状態の地下鉄に乗り、
途方もなく長い時間を労働に費やす
やっと解放された時には外はすでに真っ暗で、家に直帰してシャワーを浴びて夕飯を食べて酒飲んでダウン。
そうやってまたいつもの明日が始まっていく。
普段なんとなく生きていると、ほとんどの人はこのような生活パターンになると思います。
長時間労働が生活の主軸で、それを中心に物事が動いていくわけです。
ただそこに自分の意思など介入する余地はなく、何もかもが勝手に決まっていく。
昨日と同じような今日、今日と同じような明日を繰り返し、日常から色が消えていく。
毎日が殺風景になるのは、自分の意志では物事が動かず、それでいて選択肢が圧倒的に少ないことが原因だと思います。
出社時間と退社時間が決まっているので、朝起きる時間と夜寝る時間も勝手に決まる。
ド平日の仕事終わりなんてせいぜい近所のスーパーやコンビニに立ち寄るので精一杯です。
ここで考えて欲しいのが、このままずっと死ぬまで今の生活スタイルで生きていきたいのか、ということです。
そんなの絶対嫌に決まってる!
あなたはそう考えていることと思いますが、それでいいんです。
僕たちは生まれ落ちて間もない時から、どこの誰かもわからない人間の思想や価値観を吹き込まれます。
それを信じるがゆえに本来無限にあるはずの選択肢が少しずつこぼれ落ちていく。
そして気が付くと、勝手に色んなものを背負わされて、身動きが取れない状態で灰色の現実を生きている。
わけのわからない縛りや枠組みが勝手に囲い込もうとしているだけであって、僕たちは本来圧倒的に自由なはずなんです。
時間を無駄にしている
何かしないと
もっと楽しく生きたい
こういった思いが少しでもあるのなら、それは紛れもなくあなたの本心ですから、どうか大事にされてくださいね。
日常が労働一色に染まり、義務を消化するだけで1日が終わってしまう。
本当ならやりたいことや行きたい場所、欲しいものがたくさんあるのに、なに1つにも手が届かない。
我慢と犠牲を徹底した結果貰えるのは、1か月をただ生きるだけで精一杯の細い給料。
自分を労う時間もお金も与えられず、心身がボロボロになってもなお同じことを繰り返して生きていく。
これは一体なんの苦行でしょうか。
荒天の日はもちろんのこと、快晴の日でさえも気分がどんよりとしているのは、本心とかけ離れた生き方をしているからです。
心の声を無理矢理押し殺し、それとは真逆の生き方をするからストレスが絶えないんですね。
どんな物事でも、どこかで無茶をすれば必ず他のところにテンションがかかります。
ギアの噛み合わせが悪いモーターはいつかは壊れます。
それと同じで、自分の意に反した生き方をすることで人間いつかは壊れてしまいます。
わけのわからないしがらみにがんじがらめにされて、必死に頑張って耐えたところで、得られるものよりも失うものの方が圧倒的に多いんです。
本心を無視してストレスにまみれて、何もできずに年老いていくなんて悲し過ぎると思いませんか?
まずは自分としっかり向き合って、叶えたい夢や理想を引っ張り出してあげることが必要です。
その上で重要なのが、”自分の意志で行動を起こす”ことです。
刺激がなく何の代り映えもない日常が嫌なら、自分の力で塗り替えてしまえばいいんですね。
世の中にはどうしようもできない物事がたくさんあるのは確かですが、自分次第でどうにかできることもたくさんあります。
現状や境遇、将来なんかは全て自分の力で動かしていけるものです。
コツとしては、”その日をなんとなくで終わらせない”ことですね。
どんなに小さなことでもいいので、必ず何かするクセをつけてみてください。
ただ両手を広げて待っているだけでは何も落ちてきませんし、結局なにも変わっていかないんですよね。
初めは面倒に感じるかも知れませんが、頑張って続けていると習慣化されてやるのが当たり前になります。
何もしなかった日を後悔するくらいになればとてもいいですね。
とにかく自主的に動くことを意識してみてください。
ほとんどの人は自分の本心には気づいているものの、実際に行動に移そうとはしません。
何かを変えるにはそれ相応の時間とパワーが必要です。
それが嫌なのか面倒くさいのか、結局は何もしないでストレスを一身に浴びる道を選ぶんですね。
一度きりの大切な人生なのに、随分ともったいないことをするなあと思ってしまいます。
本心にウソをついて生きたところで絶対に満足しないし、そもそもそんな風な生き方しかできないのが悔しかったので、僕は行動しています。
自主的に動くことで全く新しい価値観にも出会えましたし、自分や物事を色んな角度から見つめられるようにもなりましたね。
普段なんとなく生きていると、どうしても思考や行動パターンが凝り固まってしまいますが、それをほぐす意味でも自分で考えて動くのは有効です。
その延長線上の話にはなりますが、僕は今自分のビジネスを所有しています。
簡単に言うと、資産を作り、自分の力でお金を稼ぐ、ということをやっています。
それは、自分の本心の通りに生きるには、雇われの身では一生かかっても無理だと悟ったからです。
誰にも雇われず、何にも縛られずに圧倒的自由に生きていく
これが僕の信念です。
これを実現させるためには、要は給料に取って代わる金額を自分だけで捻出できればいいわけです。
やっていることは難しくなく、小さいことをコツコツと積み重ねているだけです。
義務と強制に埋め尽くされて、楽しいことなんか何もない日常が本当に嫌なんですよね。
隙間を見つけて楽しめばいいじゃないか、と言われるかも知れませんが、そんな小さな楽しみなんて怒涛のように押し寄せてくる苦しみによって一瞬で消え失せます。
圧倒的な苦しみとほんのちょっとの楽しみ
圧倒的に楽しくてほんのちょっと苦しいだけ
あなたにとっての正解はどちらですか?
〜あとがき〜
なんとなく生きていると、それだけ貴重な時間と可能性を失っている、そう考えるとかなりもったいないですよね。
必要なのは我慢と忍耐、貰えるのは生き延びるお金だけ。
どこからどう見ても狂ってると思いますね。
この世の中は、自分で考えることを放棄し、誰かにすがって生きていると何もかもを吸い尽くされるようにできているんです。
気が付いたら心も体も人生もボロボロに食い尽くされていたなんて悲し過ぎます。
自分の人生を生きるためには、ただの1日たりとも無駄にはできない。そんな心持ちで今日も筆を走らせています。