”人間らしく生きる”をどう解釈するか?
人間らしい生き方などとネットで検索すると、基本的人権がヒットしますね。
僕は小難しい憲法や法律の話は得意ではないので他者に譲りますが、人間らしく生きるというのは個人的には、
個性を損ねることなく、生きがいや目的を持って生きること
だと思います。
このように生きることで、日々に満足感を見出し、ドキドキやワクワクを感じることができるのが人間です。
僕たちは無数の動物種の中で唯一言語を用いることができるし、そのおかげで喜怒哀楽も表出できる。
この点で単なる生殖のためだけに生まれてくるその他の生物とは一線を画していますよね。
また、全く同じようにプログラミングされた感情の無い機械やロボットとも違います。
自身のキャラクターを大事にし、生きることに目的や喜びを見出せる。
これは他の動物や機械の類には決して真似できないもの、人間として生きることの醍醐味だと思っています。
現実とは無情なもので、せっかく人間としてこの世に生を受けたにも関わらず、その醍醐味を体感する間もなく日々が過ぎ去っていきます。
何もかもが決まりきっていて、来る日も来る日も同じことの繰り返し。
何の達成感や充足感もないままで日々を消化するだけの生活。
たまの休みに思い切ってどこかへ行ってはみるものの、結局は殺風景な現実から少しの間逃げられただけ。
土日が、ゴールデンウイークが、年末年始が待ち遠しい。
でもこれだけを楽しみに生きていると一年という時間があっという間に過ぎ去っていく。
一年365日のほとんどの時間を、ただ何も考えずに消化するだけの人生。
これってとてつもなく勿体ないと思いませんか?
人間らしく生きることを考えたら、一日一日がもっと充実していてもいいはず。
でも実際は、決まったことを淡々と繰り返すだけで何の代り映えも無い。
そのうちに、自分の存在意義さえも疑い始めてしまう。
何が楽しくて生きているのか
同じことの繰り返しでこの先どうなっていくのか
つまらない、目的がない、自分とは何者なのか
本来ならばイキイキと過ごせるはずの毎日が、かすんで曇ったまま終わっていく。
こんなのは絶対に本来の生き方ではありません。
人間誰しも充実した生き方を望んでいるはずです。
それなのに、日常に楽しみを見出せないどころか、自身の存在理由をも疑問視してしまうというのは明らかに変です。
今こそ、あなたの生き方を狂わす元凶を炙り出す必要があります。
結論を言うと、あなたから人間らしさを奪い取っているのは労働生活です。
労働者とは、雇う側を儲けさせるために働いているようなものです。
雇う側にとって都合がいいのは、一切文句を言わず同じように回り続ける歯車であって、キャラクターやアイデンティティなんてものは邪魔でしかないんですね。
その証拠に、人間がやらなくてもいい仕事はすでに機械がやっていますよね?
悔しいですが、あなたがどんな人なのか、誰なのかなんてどうでもいいんです。
個性を潰され、いいように動く歯車に仕立て上げられるのが労働者なんです。
個性を完全に潰されるまではいかなくても、都合よく書き換えられてしまう。
仕事中に自分ではない誰かを演じさせられているのはそのためです。
個性を殺された状態が一日のほとんどを占めている。
それをこの先あと何年、何十年と繰り返した結果、人生が労働で埋め尽くされてしまいます。
これでは人間らしく生きる権利を剥奪されたといっても過言ではありません。
かつては仕事こそ人生の醍醐味であり、仕事をすることで生涯安定だという風潮だったかもしれません。
しかし時は進み、色んなことが移り変わっている現代においては、すでに時代錯誤の考え方でしかないんです。
それが分かっていてもなお労働者でいたいというのなら、それは仕方のないことです。
ですが、従来の思考のままで人生を労働で埋め尽くしたり、これが安定というものだと言い聞かせて妥協してしまっているのであれば、それはちょっと違う気がしています。
本来僕たちには人間らしく生きる権利があります。
ですが、仕事に忙殺される生活スタイルが故、その権利が薄れてしまっていることもまた事実。
一日のうちで仕事が圧倒的な割合を占め、自由な時間がごくわずかなのが現状だとして、
ではもしこの比率がそっくりそのままひっくり返るとしたらどうでしょうか。
要は、圧倒的な自由と少しの仕事という配分です。
そんなの絶対無理だろ、という声が聞こえてきそうですが、実は今の時代では十分に実現可能なんです。
生きていく上で一番重要なのが”収入”であって、労働者の場合何が問題なのかというと、実労時間ともらえる給料が決まっている点です。
給料を貰うために、一か月間毎日長時間労働を強いられる、それでいてどんなに頑張ろうと給料はほぼ頭打ち。
この構図こそが人生が仕事で埋め尽くされる原因で、給料も低値安定のためいつまで経っても楽にならない。
反対に、正しく頑張れば頑張った分だけ収益が増えていき、軌道に乗ればあとはちょっとした作業だけで済むような方法があればいいと思いませんか?
最初だけ頑張って作業して、あとは短時間の作業だけでも収入が入り、浮いた時間を自由に使える。
まさに圧倒的自由と少しの仕事ですが、これを実現できるのが”ネットビジネス”なんですね。
最初こそ作業量に反して無収入の期間が続きますが、諦めずに継続すれば、やがて作業量に見合った収入が入るようになり、さらにその後は作業量を大きく上回る程の収入を得られるくらいに化けます。
この伸び幅、化け率こそネットビジネス最大の魅力であり長所で、雇われの立場では絶対に味わえないものです。
どんなに頑張っても無能な老害達よりも低い給料しか貰えずに苦しい人生を送り続けるか、それとも自分の力でやればやっただけ収益に繋がる土俵で勝負するか。
あなたの努力が報われるのはどっちなのかは明白だと思います。
あなた自身が自らの意志で行動を起こし、自分の力でお金を生み出せるようになると、仕事と自由の比率がひっくり返ります。
何しろ、自分でお金を稼げているので、もはや労働の雇われ賃金をもらう必要がないわけですから、あなたのキャラクターを潰す労働生活とも決別することができるんです。
圧倒的自由と少しの仕事を実現すれば、人生そのものがひっくり返ります。
何物にも縛られず、自分ではない赤の他人を演じる必要もなく、あなたらしく生きていくことができるんですね。
人間たるもの、目指すべきステージはここなんじゃないかなと強く思います。
仕事ばっかりして、遊ぶ時間もお金もないままに歳を重ねていくなんて、いくら何でも勿体なさすぎると思いませんか?
自由と仕事の比率が狂っているのが労働生活で、それをひっくり返す方法がちゃんとあるんだということは知っておいて損はないと思います。
〜あとがき〜
日常業務を誰よりもうまくこなせても給料には反映されず、お局様のご機嫌を取っても手当はつかず、資格など取ったところでこれまた給料は上がらずただの自己満足。
頑張ろうが怠けようが結局同じ。アスファルトを舗装するロードローラー的な賃金体制には心底うんざりです。
月給が17万であれば当然その範疇でしか生きられませんし、月給17万で人生が形作られていくんです。
それでいてキャラクターもアイデンティティも消されるとなると、これほどひどい仕打ちはありません。
どうにかしてこの状況から抜け出さないと一生を棒に振ると思ったので、僕はネットビジネスの世界に飛び込んだわけです。
初めから勝算があったわけではありません。しかし、労働者として不遇のまま生きるよりも、自分の意志で動いてダメだった方がマシだと思ったので、チャレンジしてみることにしたんです。
今ではその時の決断は正しかったと断言できますね。
自分で考えて行動して、何かが変わったり成果が出たりというのは本当に面白いなと感じます。
限りある人生、どれだけ楽しめるかが重要だと思っています。