お金を稼ぐには労働者として働くしかない
世のほとんどの人が信じて疑わないことですが、同時に勘違いでもあります。
学校ではお金の稼ぎ方など一切教わりませんし、それが最大の問題点なのは明らかですが、
だからといって時間の切り売りだけでしかお金を貰えないと考えてはいけません。
あなたが捧げている時間の価値というのは月20万程度なのですか?
どうしていくら頑張っても生活が楽にならないのか?
労働のカラクリや稼ぎ方を変える重要性についてのお話です。
夕方まで病院で働いて、夜から居酒屋でバイト
僕の大学時代の女友達でこんな人がいました。
僕は医療系の学部だったので、就職先は病院か医療機器メーカーといったところ。
その友達は病院に就職して何か月か経った頃からすでに副業として居酒屋でバイトを始めていたらしいんですね。
夕方まで病院で仕事をして、一旦帰宅してシャワーと夕飯を済ませて今度はバイト先に出勤。
帰るのはいつも日付が変わった後で、ろくに睡眠時間も取れないままでまた出勤。
こんな生活をしていたようなんですね。
久々に連絡を取る機会があったので、気になって聞いてみたんです。
そんなにお金に困ってるのか?そうまでしないとやっていけないのかと。
返ってきた答えが、ブランド品が欲しくて欲しくてたまらないというものでしたw
確かにその友達は学生時代からブランド品をフル装備してドヤ顔で講義に来ていたなと思い出しました。
そしてもう一つ質問してみたんです。
別に居酒屋じゃなくても、他に稼ぐ方法あるんじゃないか?と。
すると、そんなの知らないし、1か月頑張れば給料もらえるからこれでいいんだという返答。
この女友達は、本業以外の稼ぎ口として居酒屋でのバイトという”労働”によって給料をもらうという選択をしました。
というより、雇用されて稼ぐ方法しかないと思い込んでいたんですね。
そんなに欲しいものがあってガッツもあるんだったらもっといい方法があるのになと思ったものです。
この友人に限らず、世のほとんどの人たちは、稼ぐには自分の時間を切り売りするより他ないと思い込んでいます。
かつて僕も、より多くのお金を稼ぐには、雇う側に自分の時間を差し出して、その見返りとして給料をもらうしかないと本当に思っていましたね。
自分の時間を捧げて稼ぐしかないと。
しかしこの方法しか知らず、寝ても覚めても労働者として生きている限り一向に裕福になれないようなシステムが、この社会には確立されているんです。
雇われる側がいつまで経っても裕福になれないのは、賃金をはじめとしたありとあらゆることを雇う側に掌握されているからです。
賃金を例にすると、1か月の給料というのは雇う側、会社や企業側に完全にコントロールされており、自分で決めることはできませんよね?
なおかつ、生かさず殺さずの絶妙な金額を設定してきます。
あなたは自身の職場の給料の算出法を見たことがありますか?
僕は、給料やボーナスというのは一体どういう計算で決められているんだろうと、労働ガイドブックなるものの賃金規定のページを見たことがあるのですが、そこには全くわけのわからない、暗号のような数式がいくつも羅列されていたのでした。
見ているだけで具合が悪くなってきたので、すぐにページを閉じてしまったことを覚えています。
しかし労働者にページを閉じさせたという時点で雇う側の勝ちなんです。
わけのわからない数式を並べて、面倒くさいからもういいやという感情を抱かせて思考を停止させているんです。
本来ならもっと支払えるのに、こんなもんだよと思い込ませて残りはピンハネです。
吸い上げるだけ吸い上げて、その会社や企業のトップの一握りの人間だけが儲かるシステムであり、労働者は搾取されるため、一部の人間を裕福にするために働いているといっても過言ではありません。
悔しいですが、これが雇う雇われるの力関係なんです。
そして”裕福”とはなにも金銭面に限った話ではなくて、空間的、精神的、時間的な意味合いも持っています。
労働者である以上、出勤の義務がありますから、住む場所は自ずと職場の近くに限定されます。
また、一緒に仕事をする人間を選ぶ権利はなく、気の合わない同僚や腹立たしい上司と毎日顔を合わせなくてはなりません。
週休2日で朝から晩まで決まった時間を捧げなければなりません。
この何もかもをコントロールされた状態ではいつまで経っても裕福になることはない、というのは明白ですよね。
大切な人と過ごす時間、頑張った自分を労う時間、リフレッシュに出掛ける時間、新たな選択肢を探しに行く時間。
貴重な時間を切り売りしているにも関わらず、対価としては到底見合わないような金額しかもらえない。
最近では副業が解禁されつつありますが、その副業でさえも時間の切り売りを選んでしまう人が多くいます。
たとえ時間の切り売りだろうと、何もしていないよりはマシだ
こんな声が聞こえてきましたね。確かにそうかもしれません。
ただ、本業でダラダラと長時間拘束された挙句、副業でもさらに時間を差し出してしまっては、それは人生そのものを差し出しているといっても過言ではなくなります。
そうやって目先の小金を追いかけ続けたところで、目に見えて豊かになることってまずないと思います。
確かに金銭的にはいくぶん余裕ができるかもわかりませんが、1日のほとんどを職場で過ごし、家は寝に帰るためだけの場所になってしまう。
ちょっとした気分転換や外食すらできず疲労が溜まり、常に気分が晴れずにパフォーマンスも上がらない。
気がついたら身も心もすっかり老け込んだ挙句、いつまでもお金の苦労が絶えない自分がいる・・・。
こんなのってあまりにも悲し過ぎませんか?
時間の切り売りだけでは絶対に報われないし、日常が我慢と忍耐で溢れていく。
僕たちが生きるこの社会は、こんな残酷な造りをしていました。
かつての僕や女友達、そして世のほとんどの人が犯している過ち、それは”稼ぎ方を知らない”ということ。
時間を切り売りして稼ぐという古い考えのままで情報がアップグレードされていないことが問題なんです。
そしてこの稼ぐ方法の刷新を妨げているのは、国とその方針です。
時代はどんどん進み、個人の生き方や働き方は確実に変化しています。
にも関わらず、労働しか選択肢がないという時代錯誤の考えを未だに吹き流しているんです。
かつてはそれで良かったかもしれません。景気が良く、みんながそれなりに潤っていた時代もありました。
ではなぜ未だにそんな時代遅れの考えを国は提唱しているのかというと、それはやはり一部の人間だけが甘い汁を吸うことができる悪しきシステムが根底にあるからです。
どこの誰かもわからない人間を裕福にするためだけに労働者が社会に量産され、いいように使われ搾取される負の構図。
国や企業は福利厚生の充実やプライベートの時間の確保などに力を入れているようですが、居心地をよくすることで少しでも長く労働者で居続けて欲しいという魂胆が見え見えです。
こんなものは労働という泥沼にどっぷり浸からせるための罠に過ぎません。随分と卑劣な手を使うものです。
僕たちはどこかの知らない人間を裕福にするために生まれてきたのではありませんよね?当然です。
そうならないためには、国の垂れ流している考えなどは一切無視して、稼ぎ方の考えを改めることが重要です。
今では時間を切り売りして稼ぐという方法の他にもちゃんとした選択肢が用意されています。
まずはほんの少しでもいいんです。今までの考えからちょっとだけ変えてみる。
国道が渋滞しているから脇道に入ってみようか
豚肉が無いから鶏肉を使おうか
稼ぎ方の考えを変えるなんていうのはこの程度のものです。
時間を切り売りする稼ぎ方が一生裕福になれないとわかったのなら、それとは逆に、時間を自由に使えるような仕事を探せばいいんです。
この仕事というのは、誰にも雇われることのない仕事、自分の力で稼ぐ仕事を指します。
一見難しく感じますが、うまく軌道に乗ると、やればやっただけ報酬は伸び、その報酬は全て自分のものになります。
わけのわからない数式を使ってピンハネされる心配は一切ありません。
僕もこの”自分の力で稼ぐ”ことに着目し、現在急速に成長を遂げてるネットの世界に活路を見出しました。
それは、この先何十年と努力しようが頑張ろうが、その苦労は全て誰かの懐に吸われてしまう労働生活を続けるよりも、努力すればするほど、頑張れば頑張るほど、全てが自分の糧になるようなことに尽力する方が、遥かに望みと可能性があると思ったからです。
あなた自身も、何のために頑張るのか、そして何を頑張るのかを考えてみてください。
他の誰でもなく自分自身のため、未来の無い労働ではなく、自分で稼げるようになるために頑張る。
この答えを導き出せたあなたなら必ず成功できます。誰のためでもない自分自身の人生を歩んでいきましょう。