心を休ませないと人間いつかは壊れます

 

 

息つく暇もない程に過ぎ去っていく日常の中では、どうしても心身を酷使してしまいます。

 

 

とりわけ心は、一度壊れてしまうと完全に元に戻ることはありません。

 

 

本来ならば無理は禁物ですが、残念ながら無理が常態化しているのがこの現実。

 

 

僕たちは、そうやって心を痛めつけながら生きていくしかないのでしょうか?

 

 

ストレス社会では心をケアする余裕すらない

 

常に四方八方から見えない攻撃を受けている現代社会では、知らず知らずのうちに心が疲弊していきます。

 

 

籠城作戦を取っている戦国武将と同じで、いつ何時敵が攻めてくるのかわからないので常に気が張り詰めている。

 

 

僕たちの普段の生活を見てみると、来る日も来る日も仕事で埋め尽くされていて、勤務中はおろか、帰宅後さえも休まる暇がありません。

 

 

消化しきれなかった仕事を持ち帰る、掃除や洗濯、食事の支度に育児。

 

 

やらなければならないことを何とかこなしたらもう寝る時間で、安息を感じる間もなくすぐに次の日がやってきてまた同じことの繰り返し。

 

 

平日は十分な休息が取れないので、休日にそのツケを支払う羽目になり、ただひたすらに寝て終わる。

 

 

それでも心は完全回復しておらず、手負いのままでまた職場へと足を運んでいく。

 

 

世のほとんどの人たちは、このように自分の心を休ませてあげる余裕すらもないまま、忙殺される日々を送っているわけです。

 

 

自分を苦しめ痛めつけ続ける方法しか、僕たちが生きる道はないのでしょうか。

 

 

心を消耗しきっても尚働き続けなければならないなんて、強烈な違和感しかないと思いませんか?

 

 

忙しい毎日を送る中で心を十分に休める時間が取れず、他人のことを考える余裕がなくなり、みんなが常に張り詰めている。

 

 

これがストレス社会の内情なのではないでしょうか。

 

 

回復したと思っても、ダメージは確実に蓄積されていく

 

心というのは、自分が思っている以上に脆く繊細なものだと思います。

 

 

しかし、それをうまく隠してい頑張りすぎてしまうクセがあるんですね。

 

 

僕たちの心は、大丈夫そうに見せるのがうまいんです。

 

 

なので、本人的にはまだまだやれると思って無理を繰り返していると、心へのダメージというのは十分に癒えることなくどんどんと蓄積されていくんです。

 

 

そうやって心を酷使し続けた結果、気が付くと取り返しがつかないまでに心が損傷してしまっているというのは現代社会ではよく耳にする事例ですね。

 

 

心を病んでしまった人に対する世間の風当たりは非常に強く、やれ根性が足りないだとか、やれ自己管理がなってないだとか平然と言う輩がいますが、心を十分に休ませるための時間が、この社会のどこにあるのかって話です。

 

 

ストレス社会では、僕たちは常に気が張り詰めた状態で生きなければなりません。

 

 

その意味では、心が疲れ切ってしまう可能性は誰にでもあるといえますよね。

 

 

ならば、根本の原因というのは、息継ぎをする暇もないストレス社会そのものであって、心が傷ついた人たちではありません。

 

 

敵対心を燃やす相手が違うと思いませんか?

 

 

倒れるまで働き続けろ、倒れても働き続けろという社会のシステムこそが、人が壊れる元凶なんです。

 

 

この先も摩耗しきった心のまま生きていくのか

 

自分をいたわる時間も取れないままで毎日同じことを延々と繰り返す人生、これって違和感がありませんか?

 

 

朝から晩まで働くというのが大前提で、そのために決まった時間に起きて決まった時間に出勤しなければならない。

 

 

1日は24時間と決まっていて、労働がその中の大半を占め、自分の自由な時間などたかが知れている。

 

 

おまけにその自由時間を削って、残った仕事や家事を片付けなければならない。

 

 

何もかもをやり切った後の時間でさえも、明日からまた仕事だという気持ちで干渉を受ける。

 

 

こんな生活を送っていては、心が悲鳴を上げて壊れてしまうのは当然だと思いませんか?

 

 

心が疲れていると、本来楽しいはずのことも楽しいと思えなくなったり、活力や意欲が湧かず視野も狭まり、挙句は人生の意義さえも疑うようになってしまいます。

 

 

視界にモヤがかかり、物事を消極的に悲観的にしか考えられなくなる。

 

 

でも、生きるためには働かなければならない。

 

 

人生に楽しみを見出せずに、ただ働いて生涯を終えることになる。

 

 

これこそが、ストレス社会を労働者として生きることで辿り着く終着駅です。

 

 

一体なんのために生まれてきたのか、なんのために生きてきたのかわからないまま最期を迎えるなんて、絶対に成仏しないと思います。

 

 

労働生活というのは、常にストレスを浴び続けて心を蝕まれている状態なんです。

 

 

心を突き放つために取るべき行動とは?

 

もうお気づきとは思いますが、これ以上心を傷つけずに済むには、労働生活を抜け出すほかありません。

 

 

繰り返しになりますが、労働者でいる限り、本当の意味での心の安息は絶対に訪れません。

 

 

たとえ趣味に没頭したり、温泉旅行に行って日頃の疲れを癒したにしても、その分の貯金など日々の労働によってあっという間に払い出されてしまうわけです。

 

 

消耗と回復のバランスがどう考えてもおかしいのが労働生活なんです。

 

 

このまま労働者として生き、心を蝕まれて潰れるより、真に心が休まる方法を選んだ方が賢明だと思いませんか?

 

 

一体誰がすき好んで自分を痛めつけながら生きたいのかって話です。

 

 

傷つき凝り固まった心を解放するためには、自分で稼いで労働者を辞めることが必要です。

 

 

この自分で稼ぐというのは、他人に雇われないことが絶対条件です。

 

 

誰に雇われるでもなく、自分自身の力でお金を発生させる。

 

 

これこそが、悪しき労働生活から抜け出せる唯一の方法です。

 

 

自分の心を潰してまで安い給料を貰いに行かずとも、自分だけの力で収入を得てしまえばいいんです。

 

 

そんな簡単に言うけど・・・、と思われたかもしれませんね。

 

 

そう、自分で稼ぐということは簡単ではありません。時間もかかります。

 

 

しかしかかる時間は何十年などという途方もなく長いものではありません。

 

 

早ければ数か月やものの1年で目に見えて成果が出ます。

 

 

簡単ではありませんが、いざ軌道に乗せれば労働者の賃金など遥かに超える収入が舞い込みます。

 

 

それでいて誰に雇われているわけでもないので、その収入はすべてあなたのもの。

 

 

出勤や長時間労働の義務もなく、働く場所や働く時間は全てあなたの思い通りになります。

 

 

何をするにもあなたの思い通り。これって心がとても喜ぶと思いませんか?

 

 

同じ場所に閉じ込めておくと、どんなものでもやがては淀んで腐ります。

 

 

自由を手に入れて、心が躍ることで人生が圧倒的に楽しくなります。

 

 

人間とは本来、自由に生きることが前提の生き物です。

 

 

それなのに、何もかもの自由を奪われ、ほとんど身動きが取れない状態で生きているから心が警報を鳴らすんです。

 

 

手遅れになる前に、何とかして自由を手にする必要がありますし、僕たちにはその権利があると思います。

 

 

心躍る人生を歩むべし

 

知らない誰かに決められたスケジュールをただ消化するだけの人生よりも、明日は何をしよう、どこへ行こう、何を食べよう、という選択肢の多い人生の方が圧倒的に楽しいに決まっています。

 

 

自分の力で稼ぐことで、あなただけの完全オーダーメイド人生を設計することが可能となるんですね。

 

 

新卒から定年までひたすら働きつづけなければならないという不可解な常識に囚われてはいけません。

 

 

そんなくだらない固定観念によってあなたの人生を棒に振る必要など全くないんですよ。

 

 

古い価値観に執着せずに、新しい知見を積極的に取り入れるよう意識すれば、それまで考えもしなかったような選択肢と巡り会うというのはよくある話です。

 

 

そしてその選択肢が、あなたの人生を好転させるきっかけとなるかも知れません。

 

 

労働者であり続けた場合、人生のほとんどの時間を仕事に費やし、来る老後はそれまでの貯蓄と年金で暮らすというプランになります。

 

 

確かに今まではこのプランが成り立ってきました。

 

 

しかしながら、この国の雇用体制は今後ますます劣悪となることが予想され、現役時代に思うように貯蓄が進まず、退職後に年金を受給しても到底足りず、

 

 

結局また働いて生活費を捻出する羽目になる可能性が大いにありそうです。

 

 

加えて、年金受給年齢が引き上げられる可能性もあり、こうなったら70代80代まで働くことになるわけです。

 

 

人生が完全に労働一色となる、これほど恐ろしいことがあるでしょうか。

 

 

たられば言ってもしょうがないと思われるかも知れませんが、常により悪い方を予測するというのはこの先非常に重要になってきます。

 

 

危機管理を怠り、楽観的に日々を浪費していると、どこかでそのツケを払う時がやってくると思います。

 

 

そうなってから慌てたのでは時すでに遅しで、万一路頭に迷ったとして、国が救い上げてくれると思いますか?

 

 

今こそ、他者に依存しない生き方を選ぶ時だと思います。その方が、たとえ雇用体制が崩壊しようとも国が衰弱しようとも自分の力で食べていけますし、何よりも圧倒的に自由です。

 

 

かといって、見切り発車で今すぐに労働者を辞める必要はありません。

 

 

労働の傍らで、少しずつでもいいので力をつけていくのがベストだと思います。

 

 

そしていつの日か、労働の賃金と比べても遜色なく、自分の足で立てるようになった段階で辞表を叩きつけてやればいいんです。

 

 

他者依存の圧倒的受け身の人生か、自分の力で生きる圧倒的に自由な人生か。

 

 

あなたはどちらの方が心躍りますか?