幸せの解釈は人によって様々です。
しかし、あなたの幸せを蝕んでいる存在や環境というのは自ずと決まってきます。
現状で幸福度が低かったり、むしろ全く感じられないのには必ず元凶があるんですね。
元凶があるのに合わせて、ちゃんとした解決策も用意されているのが今の時代です。
自分にとっての幸せって一体何なんだろう・・・
ふとこんなことが頭の中をよぎったことはありませんか?
もしあるとしたら、今あなたは幸せではないということです。なぜなら、今この瞬間が本当に幸せに満ち溢れているのであればこんなことは考えないはずだからです。
ではなぜ、現状に幸せを見出すことができないのかというと、"見えない鎖で手足を縛られて生きているから"に他なりません。
ここで普段の生活、現状を振り返ってみてください。
今住んでいる場所は、どういう基準で選びましたか?
おそらく一番は、職場から近かったから、または公共交通機関へのアクセスがよくて職場に通いやすかったからといったところだと思います。
その他にも、ウォシュレットがついているとかオール電化とかエアコンがついているとか、色々な要素はあるにせよ、
やはり労働者たるもの、職場への通いやすさということを無意識のうちに最優先事項としているのですね。
ここで言いたいのは、あなたが今住んでいる場所は職場へは通いやすいからという理由で選んだだけであって、あなたが本当に住みたいと思って選んだ場所ではないということです。
職場に通わなければならないという事実のせいであなたは住む場所の選択肢を限りなく狭められているわけです。
そして今現在の給料は?毎日クタクタになるまで必死に働いているにも関わらず、一か月にもらえるのはただ生き延びるのにギリギリの額ではありませんか?
もっとひどいと、収入が支出より少なく、それまで汗水流してコツコツ貯めた貯金を切り崩さなければやっていけないなんてこともあるでしょう。
毎月カツカツの生活で、いくら食費や光熱費を切り詰めたところでそれも限界を迎え、必死に働いている自分のことを労うための缶ビール一本すら買う余裕がなく、でも生きるためにはまた働かなくてはならない・・・
そんな負のスパイラルに陥ってしまっているのではありませんか?
そして人間関係はどうでしょうか。
毎日毎日見たくもない上司と顔を合わせなければならず、生理的に受け付けない同僚と2人っきりで仕事をしなくてはならず、人の上げ足を取ることしか考えていないお局様のご機嫌を取らなければならない。
そして一度お局様の逆鱗に触れようものなら居場所を失い最後は消される。
書き出すときりがありませんが、おそらくはあなたもこの中のひとつやふたつは思い当たる節があることと思います。
そしてこれらのことすべてが、あなたの手足をがっちりと掴んで離さないものの正体です。
目には見えませんが、ありとあらゆるものが体中にまとわりつき、あなたを身動きが取れない状態に仕立て上げているのですね。
それでいて、この先あと何年、何十年とそんな生活を強いられて生きていく。
ただ生きるだけでもやっとなのに、幸せを見出すことなんて到底できないんです。
身体的にも精神的にもアップアップの日々を過ごしているとしても、人はそんな日常の中にも何とかしてなにかしらの幸せを見つけ出そうと努力します。
例を挙げると、
給料日くらいは生ビールと枝豆でも買って帰るか
よし、ボーナスが入ったから美味しいものでも食べに行くぞ!
大好きな人と一緒にいられるだけで幸せ
こどもの寝顔を見ているだけで幸せ
ざっと考え付くのはこんなところですが、しかし落ち着いてよく考えてみてください。
給料日にしかビールと枝豆を買えない
美味しいものを食べられるのはボーナスが入ったときだけ
大好きな人と一緒にいられる時間は週末のごくわずかな時間だけ
子どもの寝顔の横には養育費を計算した紙切れが置いてある
このような小さな幸せをいくら積み重ねたところで、結局は単なる現実逃避であって、そのつかの間の幸せなひと時が過ぎ去ってしまえば、また灰色の現実へと引き戻されていくだけです。
そもそもこの程度の幸せでは、日々馬車馬のように働き詰めていることに対する見返りとしては到底釣り合わないわけです。
ですから、この項のタイトルにもあるように、どんなに小さな幸せを重ねたところで、幸福度としては結局低いままなんですね。
要は、あなたを苦しめる灰色の現実を何とかしてやらない限り、本当の幸せは訪れないということです。
前項では、根本的な解決を行わない限り、いつまで経っても幸せにはなれないというお話でしたが、
ではその解決策とは何かというと、”自分でお金を生むスキルを身につける”ことです。
今あなたが縛り付けられているのは、労働者として雇われる側の立場にいることが原因です。
現在雇われる側にいるあなたは、住む場所も自分のための時間も給料も関わる人間も全て雇う側に決められてしまっています。
これこそが身動きが取れない人生を送らざるを得ないこと、本当の幸せを掴めないことの最たる原因です。
となると、端的に言えば給料をカバーできるくらいの金額を自分自身の手で生み出せれば労働者を辞められるわけですよね?
単なる夢物語と思うかも知れませんね。
しかし、現に労働者を辞めて自由を謳歌している人間が大勢いるんです。
このご時世、労働で埋め尽くされるだけが人生ではないんです。
むしろ、どんなに働きづめの日々を送ったところでその先どうなるのか?
先にお話しした負のスパイラルに陥るだけです。
毎日毎日同じように働いて、同じような給料を貰って、生活は一向に楽にならず苦しいまま、でも生きるためにまた働く・・・。
幸せなど感じる余裕など微塵もなく、日々に忙殺される生活をこの先あと何十年と続けていく、それこそが人生。
今の生活や頑張りが無意味だとは決して思いませんが、報われないことはそろそろ辞めにしませんかってお話です。
あなたの価値は月18万などと勝手に値札を貼ってくるような連中のために一生を捧げる必要なんて全くありません。
最低でも給料と同じくらいの金額さえ稼げるようになれば、心置きなく辞表を叩きつけることができ、晴れて自由の身です。
あなたを蝕んでいたありとあらゆる束縛から一気に解放される瞬間であり、その時からあなたの本当の人生が始まるんです。
もちろん、最初から大きく稼げるわけではないので、まずは本業の傍らで小さくスタートしてコツコツと育てていくのがいいかと思います。
初めのうちはどんなに頑張っても無収入ですが、一度収益が発生すると、そこからはまるでスイッチが入ったかのように伸びていく現象を経験します。
一度軌道に乗れば、頭打ちの給料などあっさりと超えてしまうような爆発力を持っているのが自分で稼ぐことです。
どんなに頑張っても頭打ちの低賃金、頑張ったら頑張っただけお金に変わる。
あなたの努力が報われるのは果たしてどちらでしょうか?
〜あとがき〜
この世のほとんどの人は、幸せを犠牲にして給料を貰っているのかも知れません。
仮に給料が相当な額であったとしても、一日のほとんどの時間を仕事に費やしていては、好きなこともできなければどこにも行けない、子どもの寝顔しか見られない。
これでは幸福度としては低いと思います。
労働に呑まれて日々を浪費し続けるよりも、本当の幸せを目指して自分で稼ぐことに挑戦してみてもいいのではないでしょうか?
初報酬が上がった日、今でも覚えています。
そこからどんどんと報酬が増えていくあの感じはとてもスカッとします。
自分の行った作業や費やした時間がお金に変わる瞬間、最高ですよ。