自分は何のために働くのか
この問いに対する答えは実にたくさんあります。
自分のため、家族を養うため、欲しいものを買うため、親孝行するため、貯蓄を増やすため
などなど。
しかしこれらの目的をさらに掘り下げると、”お金のため”というところに落ち着きます。
食べていくため、養育費のため、ローン返済のため、親を旅行に連れていくためにはお金が必要ですよね?
根本的に見れば、世のほとんどの人はお金のために働いていると言えます。
そもそも、学校教育ではお金を稼ぐには働くしかないと散々教え込まれるので当然なのかも知れません。
しかしながら、お金を稼ぐために働いていると、どうやら弊害の方が大きいようなんです。
今回は、あなたとお金の主従関係についてのお話です。
結論から先に言うと、お金のために働いている限り、どんなに頑張っても一向に裕福になることはありません。
考えてみてください。その給料をもらうために、一体あなたはどれだけ拘束され、どれほどの我慢を強いられていると思いますか?
平日は朝から晩まで長時間拘束され、嫌な上司と毎日顔を合わせなければならず、特にやりたくもない仕事をさせられ、挙句に休日までも干渉されてストレスに苛まれながら生きる日々。
何のために働くのか?確かに第一にはお金のためかも知れません。
しかしそのお金と引き換えに失うもの、代償があまりにも大きすぎるとは思いませんか?
好きなことに没頭する時間も、好きな人と一緒に過ごす時間も、行きたい場所も見たい景色も、
その全てを我慢して犠牲にしてまでお金のために働くなど、これはもはやお金の奴隷といっても過言ではありません。
あなたが今貰っている給料は、その代償に見合うほどの価値があるのでしょうか。
自由に使えるお金などほとんどゼロに等しいような給料を貰い続けたところで、あなたの人生が彩られるとは到底思えません。
自由なお金どころか、養育費や車のローン、税金や生活費に吸われて苦しみ続ける毎日。
挙句に給料だけでは賄いきれずに借金。返済のためにまた働く。これの繰り返し。
完全に負のスパイラルに陥っていますよね。
世の多くの人は、この悪循環に知らず知らずのうちに引きずり込まれてしまいます。
そしてより一層お金のために懸命に働きますが、それではいつまで経っても抜け出すことは不可能なんです。
お金のために働くことは、終わりのないラットレースに参加していることと同じなんですね。
お金が欲しくて、お金を稼ぎたくて働いた結果、かえってお金に苦労して振り回される。
労働者として頭打ちの給料を貰って生きることで辿り着くのはアリ地獄。残念ですがこれが現実です。
あなたがお金のために働けば働くほど、知らない誰かを儲けさせてしまっているという事実にお気づきですか?
その誰かというのは、あなたの雇い主、会社や企業のオーナーのことです。
この社会は、一部の人間だけが裕福になるシステムで成り立っていて、その一部というのがいわゆる雇う側の人間たちです。
この世は雇う側が1割、雇われる側が9割とはよく言われますが、要はその1割の層しか潤わないような仕組みになっているんですね。
この1割の層はあなたを雇い、何もかもを拘束した挙句に生かさず殺さずの給料で飼い慣らすわけです。
そのはした金のせいであなたが苦しんでいることなどお構いなしに、雇う側は贅沢三昧な人生を送っているのです。
この上なく不本意で、悔しい話だと思いませんか?
あなたから何もかもを奪い取ったオーナーはどんどん裕福になり、全てを吸い上げられたあなたはいつまで経っても苦しいままでラットレースを爆走。
お金のために働くとは言うものの、人生レベルで言ったらそれこそ一体何のために働くのかわからなくなりますよね。
そうやって自分の人生に意味を見出せないままで苦しんでいる人がなんと多いことか。
繰り返しになりますが、どんなにお金のために必死に働いたところで、この社会のシステムの上で踊らされているに過ぎず、一向に裕福にならないという事実に気づく必要があるんです。
悲惨な現実について散々語ってきたわけですが、このどうしようもない現実から抜け出すための方法があります。
それはお金のために働くことをやめればいいんです。
それじゃ路頭に迷うだけだろ!という声が聞こえてきましたね。もっと言うと、
自分でお金を生み出す
自分のためにお金に働いてもらう
この方向にシフトしていくことが重要です。
労働者であるあなたが一向に苦しいままなのは、貰える給料が頭打ちであり、それ以上に増えることがない、一番の原因はこれです。
タヌキの幻術のように、葉っぱを置いたら二倍になるなんてことはないわけです。
そこで、あなたが自らお金を生み出したり、代わりにお金が働いて、より多くのお金を連れてきてくれるようなシステムを構築しようというお話です。
現に、1割の雇う側の人間や起業家、成功者というのは皆この戦術を用いています。
労働者として雇われの定額金を貰っていては苦しいままだと、彼らも熟知しているんですね。
だからこそ、配給の米をもらいに行くよりも、自分の水田で米を育ててしまえという考えにシフトしているんです。
この考えの元で行動し、うまく結果が出れば晴れて固定給生活と決別することができます。
なにしろ、自分でお金を作りだせているのですから、別に雇われの給料を貰いに行く必要がないんですね。
労働者というのは言わばお金の奴隷であり、主従関係がそもそもおかしいわけですよ。
あくまでもお金の主人はあなたであって、お金に人生の主導権を握られるわけにはいきません。
現在では、僕やあなたのような一個人でもお金を生み出すことができます。
雇われ思考を矯正し、本腰を入れて行動することで、雇われの賃金など遥かに超えるほどの額を稼ぎ出すことだってできるんです。
お金のために働くという選択肢が消えた今、もう一度何のために働くのかを自問してみてください。
目的はあくまでも自分のため、家族のため、欲しいものを買うため。
そのためにお金が必要。けど働くのではなくお金を作り出す。
お金を作り出すために頭を働かせ、今度は作り出したお金を働かせる。
この答えに至ったあなたはすでに成功したも同然です。
現在では、あなたの知識や技術、価値観や過去の体験でさえもお金に換えることが可能です。
こんなビッグチャンス到来の時代、この波に乗らない手はありません。
別に完璧に乗りこなさなくてもいいんです。ただ波の存在を知り、少しでも恩恵にあやかることができれば十分に食べていけますし自由にもなれますからね。
漠然とでもいいので、やるべきことがわかったのであれば、あとは行動あるのみ。
僕たちは今この瞬間にも老けています。自由になるのならできるだけ早い方がいいです。
終わりのないラットレースから一日でも早く抜け出すために動き出しましょう!
〜あとがき〜
学校教育では、お金を稼ぐには働くしかないとしか教わりません。これがそもそもおかしい。
だから働いて稼ぐしかないと思い込んだ労働者が社会に量産されていくんです。
世のほとんどの人は稼ぎ方を知らないんですね。
その意味では、僕たちは無理矢理お金の奴隷にさせられた被害者と言えます。
学校教育は国の方針に則って行われています。
他人の人生に首を突っ込んでわめき散らして、一体何様のつもりなんでしょうね。
僕は就職するずっと前、高校生ぐらいの時から、労働者として一生過ごすことに違和感を覚えていました。
周りの大人は皆、”それが当たり前だから”と。
このどこの誰だか知らない人間が決めた当たり前に抗うべく行動を起こすまで、およそ10年という長すぎる時間を要してしまいました。
時は金なりの観点で言うと、実に高額なレッスンと言えますね汗
もっと早くに気づいて行動していればと悔やまれます。
今では華の20代を取り戻すべくこうして筆を走らせています。
失われた時間の分まで思いっきり楽しむ
これを目標の1つとして日々尽力しているところです。
あなたも確固たる信念を胸に、自由を手に入れる戦いを始めてみませんか?