今の仕事や職場が嫌で転職を考えている
そうです、嫌なら辞めればいいんですね。
とにかく現状を変えたい
その意志はとても価値あるものです。どうか大事にしてください。
ただ、新天地が虹の楽園である保証はどこにもなく、僕の場合は真逆のまさに地獄でした。
経験上、転職は勝算の読めない博打同然と解釈しています。
今回は僕の転職の失敗談や、その後のアクションについて話しています。
現状に不満が多く、今よりもっといい仕事やより良い職場を夢見るというのは誰しもある経験だと思います。
不満が大きければ大きいほど、新天地に求める理想や期待値も高くなっていくものです。
今より高い給料、居心地のいい人間関係、適切な仕事量や休暇数。
このように期待に胸を躍らせるのはよくあるケースですが、転職経験者としては、うまくいくかどうかは運任せと言っても過言ではありません。
ここで一度求人票を思い浮かべてみてください。
月給の概算や休暇日数程度であれば記載があるかも知れませんが、その他の要素というのは求人票からはまず見えてきません。
一番と言っていい程重要である人間関係なんかは絶対にわかりません。
さらにここに採用試験という勝算の読めない関門が加わります。
まさに運任せであり、結局のところ理想の仕事や職場を狙って選ぶことは不可能なんですね。
そして残念ながら、運に任せっきりだと成功よりも失敗の確率の方が高くなります。これについてはギャンブルと同じです。
期待に胸を躍らせながら飛び込んだ新天地が、実はそれまでよりも劣悪な環境だったなんてことは本当によくあるパターンなんですね。
倒れそうになるくらいの激務、発狂するんじゃないかというほど人間関係が最悪、うまく言いくるめられて前の職場よりも給料が低くなった・・・。
それまでいた環境こそがどん底で、少なくともそれよりはいいだろうと転職したが、より深い底に落ちてしまう。
せっかく思い切って決断したのに、これでは後悔しかありませんよね。
ですので、もしどうしても転職するのであれば、過度な期待は禁物であり、うまくいけばラッキーくらいに思った方がいいです。
ちなみに僕の場合は、大きな期待を胸に選んだ新天地はまさに地獄そのものでした。
人間関係が最悪過ぎて何度も頭がおかしくなりそうでしたね。
当然ですが、その職場にどんな人間がいて、どのような勢力図が展開されているのかなんていうのは求人票には一切書かれていないわけです。
給料がそれまでより高かったのと、すぐにでも辞めてやりたいほど不満が大きかったという理由から転職を決意しました。
しかし行った先に待ち受けていたのは、過去に何人もの若手が犠牲になったという最強のオバサン軍団でした。
部署内は狭く、常に他人の動きが見えるような環境で、入った初日から異変を感じました。
空気がどうもおかしい。なんとなく淀んでいるし、それでいて張り詰めている。直感的に”これはヤバい”と思いましたね。
その日から、四天王の醜態を目の当たりにすることになったのでした。
仕事の進め方は自分の思い通りにならないと絶対に気が済まない
物の位置が一ミリでもずれているとヒステリー発動
わざとミスを誘発するような言動を取り、他人の失敗を心待ちにしている
若手が少しでもミスをしようものならハチの巣にする
昼時や夕方になると、当人にも聞こえるようなトーンで陰口合戦開始
自分がミスをするとヘラヘラ笑って受け流すか、他人になすりつけて自分だけ助かろうとする
それでいて実力はそうでもない
勢いに身を任せてこのような地獄に足を踏み入れてしまったことを心から悔やみました。
僕の転職が成功か失敗かと言われたら、どう考えても大失敗ですよ。
唯一給料だけは前の職場よりも良かったのですが、ある日遂にブチギレて最強の四天王に楯突いたら即刻減給処分を食らいました。
20万半ばだった給料が17万にまで激減してしまった時は終わったと思いましたね。
このような思い出すのも嫌な経験から学んだのは、転職とは勝算の読めない博打だということ。
転職とは言ってしまえば、中の状況が全く見えない洞穴に飛び込むようなものなんです。
このように考えるようになってからは、もう転職に何かを期待するのはやめました。
転職が不可抗力の塊だったのと、減給処分を喰らったことによって労働者そのものに限界を感じてしまったことは僕にとってターニングポイントでした。
絶望の淵で活路を見出したのは、誰かに依存しないでお金を稼ぐことでした。
給料も、人間関係も、仕事量も、その全てが不可抗力であり、自分の力ではどうすることもできない。
転職云々の前に、そもそも労働者という立場が不可抗力で成り立っていたんです。
どんなにあがいても変えようのないこと。結局のところ、ここに力を入れても無意味なんですね。
給料上がれ!と叫んだだけでそうなるならみんなお金持ちです。
嫌いな奴はどっか行け!と願っただけでそうなるならどんなにいいか。
いくら叫んでも願っても、現状が変わることは決してありません。
なので僕は結果として、自分の力で稼いで労働者を辞めてしまえばいいという境地に至りました。究極的ですね。
そんなことができるのかと最初は弱気でしたが、調べていくうちにどうやら僕と同じ境地に至った人間がいて、しかも自分の力で稼いで労働者を辞めているではありませんか。
何か特殊能力があるわけでもなく、一介のサラリーマンでものし上がっているという事実を知ります。
”これだ!”と思った瞬間ですね。
てっきり雇われて働くことでしか生きていけないと思っていましたが、今の時代、労働に頼らなくても生きていける方法が用意されていたんです。これは朗報ですね。
元々転職の話だったのに飛躍しすぎだろ!と思われたかも知れませんが、転職にしても自分で稼ぐにしても、その根本にあるのは”現状を変えたい”という気持ちであり、その点は一致しています。
だとすると、本当の意味で”現状を変える”ことが可能なのは果たしてどちらでしょうか?
〜あとがき〜
労働生活と転職を経験して学んだことで大きかったのが、”不可抗力に労力を割くな”ということでした。
どんなに力を加えてもびくともしないことに執着するよりも、自分の力で動かせたり変えられることに注力する。
こだわりが強いというのは一長一短で、物事を深く追求することができる反面、視野や思考が限定されがちです。
その意味では、”何に”こだわるかが非常に重要で、一番好ましいのが、
自分で変えられることにこだわって尽力する
これです。
あなたの努力や苦労が報われることに全力を注ぐ。
この条件を満たしているのは、労働でも転職でもなく自分で稼ぐことです。
僕は動き出しました。次はあなたの番ですよ。