サラリーマンとして働いているけど、平日は全然楽しめずに足早に過ぎ去っていってしまう。
今のあなたはそう感じているのかも知れませんね。
僕たちの生涯は1日1日の積み重ねで形作られます。
全く楽しめない日がほぼ毎日となると、それは言ってしまえば人生そのものが楽しくないのと同じなわけです。
せっかくこの世に生まれ落ちたのですから、できることなら有意義に過ごしたいし、ストレスなんて感じずに生きたいものです。
しかし現実とは冷たいもので、常に気分が晴れず息苦しく、そんな状態で頑張っている自分を労うことすら許されない。
生きていくのってこんなにも辛かったっけ?
ふとそんな疑問さえ浮かんできます。
どうしてこんなにも楽しくないのか、そんな日常をガラッと変える方法はないのか
今回はそんなお話です。
サラリーマンとして頑張って働いていると、平日のほとんどの時間を仕事に費やさなくてはなりません。
途方もない程の長時間拘束され、心身共に疲れ切った状態で解放されたら外はすでに真っ暗。
帰宅後はシャワーを浴びたり夕飯を食べたりするわけですが、そうこうしているうちにあっという間に寝る時間となってしまいまた明日が始まっていく。
このような生活パターンで平日に楽しみを見出すのって、正直言って相当難しいと思います。
自由時間なんて寝る前のせいぜい数時間であり、残業などしようものなら帰宅したらすでに寝る時間という悲惨な日だってある。
加えてその少ない自由時間、心身が完全に解き放たれているかと言えば決してそんなことはなくて、当日の疲れでボロボロだし、”明日もまた仕事だし”という感情に干渉される。
疲れているし時間と心の余裕もない
これが平日を楽しめない理由だと思います。
本来何か楽しみを見出す時は、気力が満タンで時間も十分にあることが好条件ですが、サラリーマン生活はそんな条件とは真逆の環境。
これでは日常に楽しみを見出せなくても無理はありません。
それどころか、いつしか”平日なんて仕事のためにあるようなものだ”という諦めにも似た境地に至り、そうなったら最期、平日に何かを期待することがなくなってしまうんですね。
人生レベルで考えた時、1週間のうち5日を占める平日をただ素通りするというのはこの上ない時間の浪費と言えます。
楽しみを見出すには条件が悪すぎる、だったら何もせずにさっさと寝よう。
多くのサラリーマンの方はこんな風に考えます。
しかし、そんなことをしていては平日が労働一色となり、ただ義務を消化するだけのものとなってしまいます。
そのような平日をこの先あと何十年と積み重ねていくと考えた時、人生そのものが労働に埋め尽くされてしまうと言っても大げさではありません。
ここで考えてみてください。
平日をただ義務を消化するためだけに捧げて、やりたいことも行きたい場所も全て我慢して、その見返りは一体どれほどですか?
我慢と自己犠牲の果てに貰えるのは、ただ1か月をギリギリ生き延びるので精いっぱいの低賃金です。
就職してサラリーマンとして立派に勤め上げることこそが真っ当な人生
事の善悪の判断すらままならない幼少期から、僕たちはこのような価値観を散々吹き込まれます。
ですがその通りに生きて得られるのは、苦痛に満ちた日常とそれを維持するためのお金だけです。
これの一体どこが真っ当な人生なんでしょうか。
ただでさえ生きるだけでギリギリなのに、さらに国や世間体はやれマイホームを買えだのマイカーを買えだのと煽り立て、そんなわけのわからないステータスを満たすために、世の多くのサラリーマンは自ら借金の海に飛び込んでいく。
誰かの声を鵜呑みにして、その通りに真面目に生きてみたところで、どういうわけか自分の首が締まっていく。
真面目に働き詰めて、人生を労働で埋め尽くしたところで楽な思いをするのは自分ではなくて自分の雇い主という構図。
根が真面目なのは決して悪いことではありませんが、信じるものを見誤った途端にその性格は仇となります。
”サラリーマンとして真面目に働く”を地で行く人間は、どこまでも利用されて搾取されるだけという悪しき世の中を僕たちは生きているんです。
何の楽しみも見出せず、あらゆることを我慢して犠牲にして、その先の未来が明るいはずがありません。
だからこそ、将来への不安と焦りが日を追うごとに大きくなっていくんです。
僕もかつては平日に楽しみを見出せず、日常を労働一色に染め上げた人間の1人です。
何かしないと、という気持ちは常にありました。しかしストレスに晒され、長時間労働で打ちのめされた心と体にそれ以上なにかを要求することはできませんでした。
とにかく労って回復するのが最優先。ただ、そういう平日の過ごし方をしている労働者って、雇用側にしてみたら非常に都合のいい駒なんですね。
なにしろどんなに酷使しても、次の日には元気に出社してくれるわけですからね。そう思うと悔しかったです。
このままではいつまで経っても同じことの繰り返しで、人生の時間の大半を差し出しているようなものだ
いつしかこんな風に考えるようになりましたね。
貴重な時間を割いているにも関わらず、不幸に向かって一直線の日常に対して強烈な違和感を覚えました。
暗雲立ち込める日常に息苦しさを感じるのは、人生とは本来とても彩鮮やかで圧倒的に自由だからだと思います。
本来の姿とあまりにもかけ離れているが故に常に気分が晴れないし、ふとした瞬間に強烈な虚無感に苛まれもする。
一度きりの人生を充実したものにしようと考えた時、5日間もある平日を全て取りこぼすなんてあり得ない話だと思いませんか?
平日を犠牲にして土日を取りに行く
こういう生き方をしているからこそ一年があっという間に終わってしまうんですよね。
できることなら土日に限らず平日も全て楽しく彩りたい、そう考えたあなたはとても健全だと思います。
だったら思い切って実現させてみてはいかがでしょうか?
毎日が休日という夢のような生き方を現実のものにできる方法があるんです。それも至極真っ当なやり方で。
とても簡単に言うと、自分でお金を稼ぎ出してしまえばいいんです。
誰かに雇われることでしかお金を稼げない人がほとんどですが、それだとどうしても生活が仕事中心になってしまうんですね。
平日8時間労働の縛りに囚われていては、この先もずっと不自由な人生を送ることになるのは明らかです。
日常が労働で埋め尽くされ、身動きが取れないままで老いていくのが絶対に嫌だったので、頑張って行動を起こすことにしました。
1週間のうちでどこの時間を使えるかと考えた時、平日の仕事終わりに焦点を当てます。
先ほどお話しした通り、かつては仕事が終わったらさっさと寝ていましたが、そんなことをしている場合じゃないと一念発起しました。
仕事終わりに自分にムチ打って頑張ることで、いずれ平日を思い通りに使えるようになると考えたわけですね。
その考えは正しかったようで、僕と同じように自分で稼ぐことに専念し、毎日悠々自適に生きている人たちがたくさんいることが分かりました。
ゴールが明確になったということで、本業の傍らパソコン1つでこっそりと副業を始めてみました。
心身がクタクタの状態で、睡魔と戦いながらの毎日。
初めの数か月間は相当しんどかったですが、頑張れば自由とお金が手に入ることが分かっていたので、諦めるという選択肢は無かったですね。
それに、諦めてしまったら不自由と束縛に満ちた日常を送るしかなくなるし、何だか負けた気がして嫌でした。
今のあなたも平日に楽しみを見出せずに悶々としていることと思います。
ならば頑張って動き出してみるといいかもしれません。
何もしなければ何も変わらないし、この先もずっと義務と束縛に満ちた日常を送ることになるのは目に見えていますからね。
自分で動きさえすれば、現状なんていくらでも変えていけるものですよ。
〜あとがき〜
1週間は7日もあるのに、ほとんど自由が利かないというのはどう見たって不自然だと思います。
しかしさもそれが当たり前かのように日常は流れていきます。
その”当たり前”に屈してしまうと、結果的に何もかもを奪い取られて生きることになるんですね。
文句ひとつ吐かないお利口さんでいたところで誰かの肥やしにされて一生終わる、そう考えるととても不愉快でした。
戦う時にはしっかり戦わないといけないと思っています。