20代後半から30代にかけては、今までの人生を振り返り、そしてこれからの人生をどう生きていくかについて考える、いわば岐路に立つ時期と言われています。
この年代といえば、会社に就職して何年かが経過し、仕事もそれなりにできるようになり、加えてなにかしらの責任を負うような役職に就きはじめる、まさに中堅と言われる層になりますね。
なぜこの20代後半〜30代の時期が人生の岐路と言われているのかというと、会社に入りたての頃は仕事を覚えるのが精一杯で自分の人生についてあれこれ考える暇がなかったのに対し、
経験を積み、大抵の仕事を自分でこなせるようになると、ある種の余裕のようなものが生まれます。
そしてこの余裕によって、今まで見えていなかったものが見えてきたり、自分を客観視したりということができるようになります。
この余裕が生まれ、いろいろと考えることができるようになるのがまさに20代後半〜30代というわけなんですね。
仕事はできるようになった。じゃあこれからどうする?今のままでいるべきか、それとも別の道に進むべきか・・・
この時期の選択によってその後の人生が大きく左右されるといっても過言ではないので、後悔のないようにしていきたいところです。
僕は今まさに30歳の一歩手前を生きているわけですが、これまで歩んできた20代の人生を振り返ってみると、そのほとんどの時間を労働に捧げていたなとしみじみ思います。
月曜日から金曜日までの平日は毎日働き、一瞬で終わる土日をはさんでまた月曜日。その内訳はというと、
この世の終わりのような音のアラームに朝早く叩き起こされ、
半分寝ぼけたまま朝食を5分で済ませ、
高密度の地下鉄に我が身をめりこませ、
馬車馬のように汗水流しながら夜遅くまで会社に拘束され、
再び高密度の地下鉄にめりこみ、
やっと解放されたにも関わらず、体力はほとんど残っておらず夕食を簡単に済ませて風呂に入ってお酒を飲んで意識消失して次の日。
土日は平日の疲れを全回復させるために寝貯めをするか安酒を浴びるほど飲んで現実逃避。
ただただ同じことの繰り返し。まさに労働に時間と人生を捧げた20代であったと振り返ります。
いまこれを読んでるあなたはいかがでしょう?
ざっくりでいいので思い出していただきたいのですが、僕と同じく働くことにほとんどの時間を奪われ、人生が労働を中心に回ってはいませんでしたか?
よく言われる格言として、人は雇う側が1割、雇われる側が9割というものがあります。
つまりはこの地球上の人類のほとんどが雇われる側、つまりは労働者なわけですね。
実はこの雇われる側の人間でいつづけること、すなわち労働者として過ごす年月が長ければ長いほど、それだけどんどん不幸になってくというシステムが、この社会には完成された仕組みとして存在しています。
僕たちを労働者として社会に送り込んだのは、紛れもなく国や学校教育です。
いい成績を取っていい学校へ行っていい仕事をもらって頑張って働きなさい。そうすれば幸せになれます
この固定観念を若者に刷り込み、ああなりたい、こうなりたいという未来を夢見る思考を麻痺させた上で、労働者という駒として実社会へと送り込むのです。
そして労働者としてせっせと働き、毎月決まった日に人を小バカにするかのような給料を与えられ、それをよぼよぼになって定年を迎えるまで延々と繰り返し、退職後は国からのわずかな年金で余生を送る・・・
それこそが正しい人生、幸せになるための縮図。
・・・と、あなたはここまで読み進めてこられて、なにか違和感を感じ取ることが出来ましたか?
そう、ここで騙されてはいけないのが、これは国や学校教育が勝手にあなたに植え付けてきたものであり、あなたが望んで描いた人生プランでは決してありません。
僕も子供の頃は、仮面ライダーやウルトラマン、サッカー選手に憧れを持ち、大人になったら自分も!という夢で満ち溢れていましたが、
いつの頃からか、そんな素敵な未来は完全に鳴りを潜め、その代わりにどこか知らないレールの上を望みもせずに歩かされるようになっていました。
ここで考えてみてほしいのですが、あなたは国や学校教育が提唱する人生プラン通りに歩み続けたとして、将来幸せになれると思いますか?
ただ生きるためだけの賃金をもらって、やがて結婚して共働きになって少しはお金に余裕ができ始めたところで子供が産まれ、マイホームを建て、余裕があった給料は養育費と毎月の住宅ローンに流れ貯金はなかなか思うように進まず、
老後は年金とそれまでの貯蓄分では到底生きていけず、引退したはずが結局はシルバー人材センターの門を叩く。
これが国の提唱する人生プランの真実です。
逆説的になりますが、もし国や教育の言うとおりに生きて誰もが幸せになるのだったら、誰も老後に真夏の炎天下の中で交通整理などしないはずですよね?
そしてこれはあくまでも健康で働き続けられた時の話で、ただでさえこんな末路を辿るというのに、予期せぬケガや病気になったときにはもっと悲惨で、
国や労働先というのは非情なもので、ひとたび働けなくなったと思えば、今まで散々束縛してきたにも関わらず、いとも簡単に切り捨て放り出します。
”人財”とはよく言ったもので、所詮労働者は捨て駒、使い捨ての歯車としか思われていないのですね。
労働者として一生を送ることがいかに不幸を招き、百害あって一利なしといえる理由がお分かりいただけたことと思います。
僕はレールから自分の意志で脱線する方法を見つけるのに10年という歳月を費やしてしまいました。
人生100年と言われる現代ですが、健康寿命でいったら100年よりも遥かに短いわけで、その意味では若かりし20代を労働に捧げたというのはあまりにも大き過ぎる代償です。
冒頭でもお話しした通り、人には己の人生観について考える時期、人生の分岐点が訪れます。
そこで最も重要なのが、進むべき道、選択を誤らないことです。
[選択肢は常に何個もある]というのはよく言われることですが、この考えは必ずしもその限りではなく、現に僕たちは今まで国や学校教育の固定概念や世間体に翻弄され、選択肢など皆無のほぼ一本道を歩かされてきました。
しかしここまで読み進められた思慮深いあなたは、今まで霧がかかっていてよく見えなかった選択肢が見えるようになっているはずです。
その選択肢というのはまさに”自分で稼ぐ力を身につける”ということ。
繰り返しになりますが、国の定めたレールに乗っかり、労働者として会社にしがみついて人生を送るというのは、想像以上にリスキーな選択です。
実際問題、この国の経済は他の先進国と比べても明らかに勢いがなく、もはや途上国の仲間入りを果たしてしまいそうな程です。
経済の衰退はすなわち国の衰退と同義ですから、老後の貴重な財源ともなる年金受給はもはやまったく期待できないものとなっています。
このご時世、国や会社は僕たちを守ってはくれないのだということを念頭に、正しい選択をする時が来たようです。
僕は国や会社からの執拗な束縛から解放されて自由になるべく、自分で稼ぐ力を身に着けることを決意しました。
国や会社は僕らの人生のありとあらゆる場面で足を引っ張ってきますが、本来僕らはそんなわけのわからない束縛を受ける義理などなく、もっと自由であるべきだと強く思います。
自分で稼ぐ力を身に着け、晴れて会社の束縛から解放されると、
@住む場所の自由
A時間の自由
B人間関係の自由
C経済的自由
という4つの自由が手に入ります。
会社の近くではなくどこにでも住める自由
365連休なにをしても自由
自分をわかってくれる人とだけ関わっていればいい
生きるためだけの低賃金と違い青天井
会社の束縛から解放されて自由となるべく、僕はアフィリエイトに活路を見出しました。
資産、仕組みを一度築いてしまえば、あとはいつどこでなにをやっていても自由。
従来の固定観念に囚われず、「こんな世界があったのか!」といった発見はいつも新鮮で、人を大きく成長させてくれます。
なににも囚われず、なににも縛られず、もっと自由に生き、もっと広い世界を見る
あなたにはその権利があります。