なんか、自分の人生って全然大したことないな・・・
毎日を生きていると、ふとこんなことを考える瞬間がありませんか?
毎日毎日同じことの繰り返しで、一週間が終わったらまた次の一週間が始まり、そして一か月が過ぎてまた次の月がやってきて、気が付いたら一年が終わっている・・・
これは誰にでもある経験ですよね。
では、このままその何の変哲もない人生を歩んでいくのか・・・?
人生は誰でも一度きりで、時計の針は止まってはくれず、今この瞬間であっても少しずつ老いていっています。
限られた時間の中での人生ですから、いかに有意義に過ごすかを考えて生きていきたいものです。
ではなぜ、自分の人生が大したことないと思ってしまうのか?
結論から言うと、それは”何も考えずにただ惰性で生きているから”であり、
そしてあなたがそのように生きてしまっているのは、”人生のほとんどの時間を労働に喰われているから”に他なりません。
ここであなたの平日の行動を思い起こしてみてください。
朝決まった時間に起きて仕事へ行く準備を済ませ、
決まった時間に電車に乗って出勤し、定時までせっせと働き、
帰宅してお風呂に入って夕飯を食べて寝る
この一連の流れの中で、一体どれだけの時間を自分の意志で行動しているかという話です。
「いや、ごはんのメニューとか仕事終わりに飲みに行くかとか、色々考えてるよ!」
という意見が聞こえてきそうですが、そのような時間は一日の中での割合としては圧倒的に小さいわけで、
ほとんどの時間は、自分の意志とは関係ない時間、要は労働の時間に費やしているのですね。
朝決まった時間に起きるのも、出社して長時間労働するのも、”やらなきゃいけないから”であって”自分の意志でやっている”わけではありませんよね。
このように一日のほとんどが意志とは関係ない時間であり、これが一か月や一年となると、とてつもなく膨大な時間となります。
一日のほとんどの時間を労働に捧げているせいで自分で何かしようという意志や思考が停止してしまっており、毎日が何の刺激も無く平凡で同じことの繰り返し。
だから年末に一年を振り返ってみても、自ら進んで何かをやった覚えがないし、
だからふとした時に”自分の人生って大したことないな・・・”と思ってしまう。
”毎日家と職場の往復だけ”という言葉をよく耳にしますが、この言葉こそが何も考えずに惰性で生きていることの何よりの証拠と言えます。
前項では、労働が生活の中心となっているせいで人生が退屈だと思ってしまう、というお話でした。
そして僕らを毎日毎日労働させるように仕向けているのは国とその方針です。
いい学校に行っていい仕事に就いてお金を稼ぐために一生懸命働きなさい
というのが彼らの言い分です。
この固定観念は今でも現代社会に強固に根付いており、多くの人が信じて疑わない人生の指針です。
こどもの頃はやりたいこと、なりたいものがたくさんあって夢と希望にあふれていたのに、
この国の思想に翻弄されて選択肢を限りなく潰され、ほぼ一本道を進んだ先に待っていたのは、やりたくもない仕事を続けなければ生きていけない非情な世界。
人生の選択肢を潰した挙句に時間を奪い、思考を停止させ、生かさず殺さずの低賃金を払ってまた働かせる。
そしてお国の言う通りに労働に人生を捧げたにも関わらず、老後の資金源である年金は受給開始が先延ばしにされる始末。
終身雇用制度は破綻し、年金制度もどうやら怪しい、にも関わらず従来の悪しき固定観念はそのまま吹き込もうとする。
散々人の人生をかき乱しておいて、それでいて責任など取る気配は全くない。
もはや国は何の力もなく僕たちを守ってはくれません。
それなのに僕たちの足を引っ張り、奈落へと引きずり込もうとしてきます。
これ以上国やその方針に翻弄され、人生に口出しされる筋合いなどありません。
何としてでも国や労働の束縛から解放されて自由になる必要があります。
仮に自由を得ずに、今のまま束縛に屈してしまうようなことがあれば、ただの食い物にされて最終的には何もかも奪われ、何物にもなれずに死んでいくことになる可能性が非常に高いと断言できます。
この国がいかに理不尽で無責任なものか、そしてそれにすがってこの先生きていくことがいかに危険なのかを知るまでに僕は花の20代を費やしてしまいました。
本来ならば可能性に満ち溢れ、体力もあって何でもできるはずの20代を、労働の駒として過ごしてしまいました。
もちろん悔しいですし、奪われた時間を返して欲しいのはやまやまですが、残念ながらそれは叶わず、時計の針は元には戻りません。
なので僕は、失われた時間の分まで、これからの人生を有意義なものに変えてやると決心しました。
そしてあなたも、この決心をするなら若ければ若いほどいいと思います。
早くから行動し、そのおかげで早くに成功を掴むことができれば、それだけ豊かな人生を過ごす時間が増えますから。
人生は、何歳になってもいくらでもやり直しが利きます。
生まれる前から、というような本当の意味でのやり直しではないかも知れませんが、自分の信念、価値観、進む方向はその”意志”さえあればいくらでも軌道修正ができます。
労働に人生を捧げ、思考を停止させた状態で綺麗に舗装されたアスファルトの上を無心で歩き続けるよりも、
次はどっちに進もうか?
右か左か上か下か?
といった具合に、自分の意志で行きたいところに向かって歩いたほうが、はるかにワクワクドキドキしませんか?